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国または地域 | モロッコ | |||
協会 | 王立モロッコサッカー連盟 | |||
FIFAコード | MAR | |||
愛称 |
Lions de l'Atlas (アトラスのライオン) | |||
監督 | ワリド・レグラギ | |||
最多出場選手 | ヌールッディーン・ナイベト(115試合) | |||
最多得点選手 | アハメド・ファラス(36得点) | |||
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初の国際試合 |
1957年10月19日対イラク 3-3 | |||
最大差勝利試合 |
1961年9月6日対サウジアラビア 13-1 | |||
最大差敗戦試合 |
1964年10月11日対ハンガリー 0-6 | |||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 6回(初出場は1970) | |||
最高成績 | 4位 (2022) | |||
アフリカネイションズカップ | ||||
出場回数 | 19回 | |||
最高成績 | 優勝 (1976) | |||
アフリカネイションズチャンピオンシップ | ||||
出場回数 | 4回 | |||
最高成績 | 優勝 (2018, 2020) | |||
FIFAアラブカップ | ||||
出場回数 | 4回 | |||
最高成績 | 優勝 (2012) | |||
サッカーモロッコ代表(サッカーモロッコだいひょう)は、王立モロッコサッカー連盟(FRMF)によって構成される、モロッコのサッカーのナショナルチームである。愛称は「アトラスのライオン」。
歴史
黎明期
FIFAワールドカップでは、1970年メキシコ大会に初出場してグループリーグ最下位で敗退。1986年メキシコ大会ではベスト16に進出した。アフリカネイションズカップでは1976年エチオピア大会で優勝し、1994年アメリカ大会と1998年フランス大会に連続出場するなど、アフリカの中では早くから存在感を発揮してきた。
近年はワールドカップ本大会出場も1998年フランス大会を最後に遠ざかっていたが、2017年11月11日の2018年ロシア大会・アフリカ3次予選の最終節、コートジボワール戦に2-0で勝利した。これによりモロッコのグループC1位が確定し、1998年大会以来5大会ぶりとなるワールドカップの出場権を獲得した。本大会ではグループBに入るが、初戦のイラン戦、ポルトガル戦ともに0-1で敗れ、モロッコのグループリーグ敗退が決定した。第三戦のスペイン戦は2-2で引き分け、勝ち点1を得た。
FMRFは2009年に王の名を冠した「ムハンマド6世国王アカデミー」を開校。CNNのレポートによると首都ラバトの郊外にある同施設には、五つ星ホテル4棟、国際サッカー連盟(FIFA)の基準を満たしたピッチ8面が含まれる[注 1]。この他、医療関係の施設には歯科医も配属されている。また欧州中にスカウトを派遣し、各国のモロッコ移民の中から若い才能を発掘する取り組みにも力を入れてきた[1]。
FMRFは女子サッカーへの投資にも着手。学校やクラブでプレー環境を充実させつつ、国内リーグを立ち上げた。現在の女子サッカーで、完全プロ化した2部制の国内リーグを持つ国は世界でモロッコしかない[注 2]。
こうした国内サッカーの体制を全面的に見直した改革が実を結び、クラブは男女のアフリカチャンピオンズリーグのタイトルを獲得。男子では欧州のUEFAヨーロッパリーグに相当するCAFコンフェデレーションズカップでも優勝した。
カタールW杯での躍進
2022年カタール大会では、クロアチア、ベルギー、カナダと同じグループFに組み分けされた。しかしFMRFは開幕まで残り3カ月に迫る中、当時練習への遅刻や怪我を偽って親善試合に出場することを拒否した[2][3]としてハキム・ツィエクら主力選手を代表から追放していたヴァイッド・ハリルホジッチ監督との契約を解消[4]。すると、後任のワリド・レグラギ監督が追放されていたツィエクらをW杯のメンバーに招集した[5]。
追放されていた選手らがスタメン出場した初戦のクロアチア戦をスコアレスドローで終えると[6]、第2節のベルギー戦ではヤシン・ブヌが国歌斉唱中に体調不良を起こしたため、急遽ムニル・エル・カジュイが代役として出場した[7]。そのムニルが再三にわたるファインセーブで、ベルギーの攻撃を凌ぐと後半にセットプレーから先制点を挙げ、さらに試合終了直前にも追加点を挙げたことで2-0で勝利した。前々回出場の1998年フランス大会以来、24年ぶりの勝利はFIFAランキング2位のベルギー相手という大金星となった[8]。さらに最終節のカナダ戦も2-1で勝利したことで36年ぶりとなる決勝トーナメント進出を掴んだ[9]。
そして迎えた決勝トーナメント1回戦では、双方がペレヒル島の領有権を主張するなどといった一部政治的対立もあるスペインと対戦。試合は終始、スペインにボールを支配されるも120分間得点を許さずPK戦に突入した。PK戦では守護神のブヌがスペインの1本目から3本目のキックを全て止め、初のベスト8進出を果たした[10]。準々決勝でのポルトガル戦でもその躍進は止まらず、エン・ネシリが飛び出したGKよりも高い打点からのヘディングを叩き込んで先制点を奪うと、最後までその得点を守り抜き1-0で勝利。これにより、アフリカ勢では初のベスト4進出を決めた。準決勝ではかつての宗主国であるフランスと対戦し、0-2で敗れ決勝進出はならず、グループステージ初戦で対戦したクロアチアとの3位決定戦に臨んだ。結果は1-2で敗北となり、4位で大会を終えた[11]。
ホームスタジアム
3つのスタジアムがホームスタジアムとなっている。
- スタッド・アドラール (アガディール) 収容人数:45,480人
- スタッド・ド・マラケシュ (マラケシュ) 収容人数:45,240人
- スタッド・モハメド・サンク(カサブランカ)収容人数:67,000人
成績
FIFAワールドカップ
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1930 | 不参加 | ||||||
1934 | |||||||
1938 | |||||||
1950 | |||||||
1954 | |||||||
1958 | |||||||
1962 | 予選敗退 | ||||||
1966 | 棄権 | ||||||
1970 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 1 | 2 | 2 | 6 |
1974 | 予選敗退 | ||||||
1978 | |||||||
1982 | |||||||
1986 | ベスト16 | 4 | 1 | 2 | 1 | 3 | 2 |
1990 | 予選敗退 | ||||||
1994 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 5 |
1998 | 3 | 1 | 1 | 1 | 5 | 5 | |
2002 | 予選敗退 | ||||||
2006 | |||||||
2010 | |||||||
2014 | |||||||
2018 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 1 | 2 | 2 | 4 |
2022 | 4位 | 7 | 3 | 2 | 2 | 6 | 5 |
合計 | 出場6回 | 23 | 5 | 7 | 11 | 20 | 27 |
アフリカネイションズカップ
出場:19回 優勝:1回 | |||||||||||
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開催国 / 年 | 成績 | 開催国 / 年 | 成績 | 開催国 / 年 | 成績 | ||||||
1957 | 不参加 | 1982 | 予選敗退 | 2006 | グループリーグ敗退 | ||||||
1959 | 1984 | 2008 | |||||||||
1962 | 棄権 | 1986 | 4位 | 2010 | 予選敗退 | ||||||
1963 | 予選敗退 | 1988 | 2012 | グループリーグ敗退 | |||||||
1965 | 不参加 | 1990 | 予選敗退 | 2013 | |||||||
1968 | 1992 | グループリーグ敗退 | 2015 | 失格[12] | |||||||
1970 | 予選敗退 | 1994 | 予選敗退 | 2017 | ベスト8[注 3] | ||||||
1972 | 1次リーグ敗退 | 1996 | 2019 | ベスト16[注 3] | |||||||
1974 | 不参加 | 1998 | ベスト8 | 2021 | ベスト8 | ||||||
1976 | 優勝 | 2000 | グループリーグ敗退 | 2023 | ベスト16 | ||||||
1978 | グループ敗退 | 2002 | 2025 | ||||||||
1980 | 3位 | 2004 | 準優勝 |
アフリカネイションズチャンピオンシップ
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2009 | 予選敗退 | ||||||
2011 | |||||||
2014 | ベスト8 | 4 | 1 | 2 | 1 | 7 | 6 |
2016 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 4 | 2 |
2018 | 優勝 | 6 | 5 | 1 | 0 | 16 | 2 |
2020 | 優勝 | 6 | 5 | 1 | 0 | 15 | 3 |
合計 | 4/6 | 19 | 12 | 5 | 2 | 42 | 13 |
FIFAアラブカップ
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1963 | 不参加 | ||||||
1964 | |||||||
1966 | |||||||
1985 | |||||||
1988 | |||||||
1992 | |||||||
1998 | グループリーグ敗退 | 2 | 1 | 0 | 1 | 2 | 2 |
2002 | ベスト4 | 5 | 1 | 2 | 2 | 5 | 6 |
2012 | 優勝 | 5 | 4 | 1 | 0 | 11 | 2 |
2021 | ベスト8 | 4 | 3 | 0 | 1 | 11 | 2 |
合計 | 4/10 | 16 | 9 | 3 | 4 | 29 | 12 |
アフリカ競技大会
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1965 | 不参加 | |||||||
1973 | ||||||||
1978 | ||||||||
1987 | ||||||||
1991 | ||||||||
1995 | ||||||||
1999 | ||||||||
2003 | ||||||||
2007 | ||||||||
2011 | ||||||||
2015 | ||||||||
2019 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 3 | 4 | |
合計 | 1/12 | 3 | 1 | 1 | 1 | 3 | 4 |
パンアラブ競技大会
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1953 | 不参加 | ||||||
1957 | 4位 | 4 | 2 | 2 | 0 | 12 | 6 |
1961 | 金メダル | 5 | 5 | 0 | 0 | 26 | 6 |
1965 | 不参加 | ||||||
1976 | 金メダル | 6 | 4 | 2 | 0 | 12 | 0 |
1985 | 銀メダル | 5 | 3 | 1 | 1 | 9 | 3 |
1992 | 不参加 | ||||||
1997 | |||||||
1999 | |||||||
2007 | |||||||
2011 | |||||||
合計 | 4/11 | 20 | 14 | 5 | 1 | 59 | 15 |
イスラム諸国連合競技大会
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2005 | 銀メダル | 5 | 2 | 2 | 1 | 4 | 2 |
2013 | 金メダル | 4 | 3 | 0 | 1 | 6 | 3 |
2017 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 2 | 0 | 2 | 1 |
2021 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 5 | 4 |
フランス語圏競技大会
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1989 | 銀メダル | 5 | 3 | 1 | 1 | 10 | 7 |
1994 | 4位 | 4 | 2 | 0 | 2 | 5 | 6 |
1997 | 不参加 | ||||||
2001 | 金メダル | 6 | 3 | 3 | 0 | 12 | 3 |
2005 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 4 | 4 |
2009 | 銅メダル | 4 | 3 | 0 | 1 | 6 | 3 |
2013 | 銀メダル | 4 | 1 | 1 | 2 | 4 | 4 |
2017 | 金メダル | 5 | 3 | 2 | 0 | 13 | 1 |
地中海競技大会
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1951 | 不参加 | ||||||
1955 | |||||||
1959 | |||||||
1963 | 4位 | 4 | 2 | 0 | 2 | 4 | 6 |
1967 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 4 | 6 |
1971 | 4位 | 4 | 2 | 1 | 1 | 3 | 2 |
1975 | 5 | 1 | 4 | 0 | 3 | 2 | |
1979 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 2 | 1 | 2 | 3 |
1983 | 金メダル | 5 | 3 | 1 | 0 | 8 | 2 |
1987 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 |
1991 | 銅メダル | 3 | 2 | 0 | 1 | 6 | 3 |
1993 | グループリーグ敗退 | 2 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 |
1997 | 不参加 | ||||||
2001 | グループリーグ敗退 | 2 | 1 | 0 | 1 | 6 | 4 |
2005 | 4位 | 5 | 1 | 2 | 2 | 3 | 3 |
2009 | 棄権 | ||||||
2013 | 金メダル | 5 | 4 | 2 | 0 | 12 | 5 |
2018 | 銅メダル | 4 | 1 | 2 | 1 | 5 | 5 |
2022 | 銅メダル | 5 | 2 | 1 | 2 | 8 | 6 |
歴代ユニフォーム
ユニフォーム | 期間 |
---|---|
アディダス | 1982–1993 |
ロット | 1994–1995 |
アンブロ | 1995 |
ロット | 1995–1997 |
プーマ | 1998–2002 |
ナイキ | 2003–2006 |
プーマ | 2007–2011 |
アディダス | 2012–2018 |
プーマ | 2019– |
歴代監督
- ラルビ・ベンバレク 1957
- ジュスト・フォンテーヌ 1979-1981
- ジョゼ・ファリア 1983-1988
- ヴェルナー・オルク 1990-1992
- アンリ・ミシェル 1995-2000, 2007-2008
- ヘンリク・カスペルチャク 2000
- ウンベルト・コエリョ 2000-2002
- バドゥ・ザキ 2002-2005, 2014-2015
- フィリップ・トルシエ 2005
- ロジェ・ルメール 2008-2009
- エリック・ゲレツ 2010-2012
- ラチド・タウシ 2012-2013
- エルヴェ・ルナール 2016-2019
- ヴァイッド・ハリルホジッチ 2019-2022
- ワリド・レグラギ 2022-
現招集メンバー
2022年11月10日、2022 FIFAワールドカップに出場するメンバー26人を発表した[15][16]。16日、負傷したアミーヌ・アリに代わりアナス・ザルリが招集された[17]。
|
歴代選手
国際大会の登録メンバー
代表選手
GK
|
DF
|
MF
|
FW
|
サポーター
狂信的になった故にトラブルを引き起こすサポーターも一部存在しており、パリ五輪ではグループステージのアルゼンチン戦、準決勝のスペイン戦でピッチに乱入者を出した[18][19]。
脚注
注釈
出典
- ^ “カタールW杯 モロッコの快進撃がまぐれではない理由”. CNN (2022年12月9日). 2022年12月16日閲覧。
- ^ “モロッコ代表ハリルホジッチ監督、「ウソ怪我」のジヤシュを追放”. Qoly (2021年9月3日). 2022年11月29日閲覧。
- ^ “なぜツィエクはモロッコ代表でプレーしないのか?チェルシーのスター選手の代表引退を解説”. Goal.com (2022年3月1日). 2022年11月29日閲覧。
- ^ “4年前と同様の結末に…モロッコとハリルホジッチがW杯前に契約解消”. Goal.com (2022年8月14日). 2022年12月12日閲覧。
- ^ “لائحة المنتخب الوطني المشاركة في نهائيات كأس العالم قطر 2022” (アラビア語). Fédération royale marocaine de football (2022年11月10日). 2022年11月12日閲覧。
- ^ “前回準優勝のクロアチア、初戦飾れず…W杯初対決のモロッコとスコアレスドロー”. Goal.com (2022年11月23日). 2022年12月12日閲覧。
- ^ “国歌斉唱中にめまい…ベルギー撃破のモロッコ、GKが体調不良で試合開始直前に選手交代”. Gaol.com (2022年11月28日). 2022年11月29日閲覧。
- ^ “【動画】モロッコがタレント軍団ベルギーを撃破!W杯で24年ぶりの勝利を手に”. Goal.com (2022年11月27日). 2022年12月12日閲覧。
- ^ “首位通過モロッコが36年ぶり決勝T進出! 日本はスペインに勝利なら2位通過クロアチアとの対戦が濃厚に”. Goal.com (2022年12月2日). 2022年12月12日閲覧。
- ^ “モロッコが新たな歴史を作る!PK戦に及ぶ死闘でスペイン下し、史上初のベスト8進出”. Goal.com (2022年12月7日). 2022年12月12日閲覧。
- ^ “モロッコがアフリカ勢史上初のW杯ベスト4進出!ポルトガルの猛攻耐えきり、歴史的偉業を達成”. Goal.com (2022年12月11日). 2022年12月12日閲覧。
- ^ “CAF acknowledges Morocco's refusal to host ORANGE AFCON 2015 from January 17 to February 8” (英語). CAF (2014年11月11日). 2014年11月12日閲覧。
- ^ “Morocco Fined, Banned From Two AFCON Tournaments” (英語). CAF Online (2015年2月6日). 2015年4月9日閲覧。
- ^ “Morocco win appeal over Afcon 2017 and 2019 bans” (英語). BBC Sport (2015年4月2日). 2015年4月9日閲覧。
- ^ “لائحة المنتخب الوطني المشاركة في نهائيات كأس العالم قطر 2022” (アラビア語). Fédération royale marocaine de football (2022年11月10日). 2022年11月12日閲覧。
- ^ “モロッコ代表がカタールW杯メンバー発表! ツィエクやハキミら選出”. サッカーキング (2022年11月11日). 2022年11月12日閲覧。
- ^ “モロッコ代表、負傷アリの代役に22歳ザルリを初招集! 直近までU-21ベルギー代表でプレー”. 超ワールドサッカー (2022年11月17日). 2022年11月17日閲覧。
- ^ “金候補アルゼンチンにAT15分で追いつかれ、”ブチ切れた”モロッコ・サポーターがピッチ乱入! 爆発音、ペットボトル投げ込まれ、スタジアムは一時騒然【パリ五輪】”. THE DIGEST (2024年7月25日). 2024年8月6日閲覧。
- ^ “中日スポーツ”. THE DIGEST (2024年8月6日). 2024年8月6日閲覧。