The US FDA’s proposed rule on laboratory-developed tests: Impacts on clinical laboratory testing
目次
| ||||
---|---|---|---|---|
基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1972年7月12日(52歳) | |||
出身地 | 福岡県北九州市 | |||
ラテン文字 | Naomi Eto | |||
身長 | 186cm | |||
体重 | 62kg | |||
血液型 | AB型 | |||
選手情報 | ||||
所属 | 龍谷大学 | |||
愛称 | ナオ | |||
役職 | 監督 | |||
ポジション | MB | |||
指高 | 242cm | |||
利き手 | 右 | |||
スパイク | 307cm | |||
ブロック | 298cm |
江藤 直美(えとう なおみ、1972年7月12日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、バレーボール指導者である。
来歴
福岡県北九州市出身。中学校1年生からバレーボールを始める。1987年、第1回全国都道府県対抗中学バレーボール大会に熊本選抜で出場した。決勝トーナメントの初戦で神奈川に敗れたが、身長が183cmあり女子の参加選手中最高身長であったことから、オリンピック有望選手に選出された。
扇城高校(現・東九州龍谷高校)では3年連続インターハイに出場し、高校2年の時には春高バレーで準優勝。1989年世界ユース選手権3位、アジアユース選手権優勝、1990年アジアジュニア選手権優勝(サーブ賞)を経験した。1991年に日立に入団し、同年ワールドカップで全日本代表に初選出された。
186cmの高さを生かしたブロックで大いに期待されたが、1992年バルセロナオリンピック、1996年アトランタオリンピックは直前で代表メンバーから外れた。葛和伸元監督就任後はレギュラーとして活躍し、2000年には全日本の主将を務めたが、同年5月に練習中にレシーブをした際に右ひじを壁に強打し、じん帯断裂の怪我を負う。2000年シドニーオリンピック最終予選(6月17日開幕)は強行出場したものの思うようなプレーができず、日本は3勝4敗の6位に終わり五輪出場権を逃した。江藤は結局三回オリンピックに出場するチャンスが有りながら、一度もオリンピックに出場できなかった。
2001年日立の廃部に伴い東洋紡に移籍するが、2002年東洋紡の廃部でJTマーヴェラスへ移籍。
2005年1月22日、第12回Vリーグの日立佐和リヴァーレ戦でブロック3得点をあげ、Vリーグ通算ブロック決定本数を601に伸ばし、史上初めてブロック決定本数600の大台に乗せた。
2007年5月開催の黒鷲旗大会を最後に、16年間の現役生活を終えた。
引退後は、愛知学院大学に進学[1]、健康科学を専攻[1]。名城大学男子バレーボール部コーチ[2]、公立中学校講師を経て[1][3]、現在は日本体育協会上級コーチ[1]、日本バレーボール協会発掘育成委員[1][4]、龍谷大学女子バレーボール部監督[1][5]を務めている。
球歴
所属チーム
- 扇城高等学校(現・東九州龍谷高等学校)
- 日立ベルフィーユ(1991-2001年)
- 東洋紡オーキス(2001-2002年)
- JTマーヴェラス(2002-2007年)
受賞歴
- 2000年 - 第6回Vリーグ ブロック賞、ベスト6
- 2001年 - 第7回Vリーグ ブロック賞
- 2003年 - 第5回V1リーグ 殊勲賞、ブロック賞
個人成績
1999年から2007年までのVリーグ及びVプレミアリーグのレギュラーラウンドにおける個人成績は下記の通り[6]。
シーズン | 所属 | 出場 | アタック | ブロック | サーブ | レセプション | 総得点 | 備考 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | セット | 打数 | 得点 | 決定率 | 効果率 | 決定 | /set | 打数 | エース | 得点率 | 効果率 | 受数 | 成功率 | ||||
1999/2000 | 日立 | 18 | 66 | 303 | 154 | 50.8% | % | 66 | 1.00 | 272 | 9 | 3.31% | 7.1% | 65 | 81.5% | 229 | |
2000/01 | 18 | 71 | 374 | 162 | 43.3% | % | 78 | 1.10 | 237 | 8 | 3.38% | 7.6% | 21 | 71.4% | 248 | ||
2001/02 | 東洋紡 | 15 | 52 | 233 | 94 | 40.3% | % | 48 | 0.92 | 136 | 0 | 0.00% | 5.9% | 31 | 67.7% | 142 | |
2002/03 | JT | V1リーグのため、記録を記載せず | |||||||||||||||
2003/04 | 18 | 65 | 288 | 110 | 41.3% | % | 51 | 0.78 | 235 | 8 | 3.40% | 8.9% | 21 | 61.9% | 178 | ||
2004/05 | 27 | 109 | 457 | 182 | 39.8% | % | 74 | 0.68 | 330 | 12 | 3.64% | 9.2% | 19 | 57.9% | 268 | ||
2005/06 | 27 | 94 | 360 | 146 | 40.6% | % | 74 | 0.79 | 352 | 2 | 0.57% | 6.4% | 50 | 40.0% | 222 | ||
2006/07 | 27 | 110 | 393 | 162 | 41.2% | % | 51 | 0.46 | 309 | 12 | 3.88% | 7.2% | 32 | 53.1% | 225 | ||
通算 | 150 | 567 | 2408 | 1019 | 42.3% | % | 442 | 0.78 | 1871 | 51 | 2.73% | 7.6% | 209 | 66.0% | 1512 |
太字 はタイトル獲得
脚注
- ^ a b c d e f サイファホームページ(三屋裕子と仲間たち)
- ^ JVA. “平成24年度 JVA男子・女子エリートアカデミーオーディション募集要項”. 2012年7月4日閲覧。
- ^ “成長するために必要なヒントはバレーボールの外にある。龍谷大学女子バレー部監督の江藤直美さんの指導方法。|SPODGE「スポーツ経験を無限大の可能性へ変えるメディア」”. SPODGE「スポーツ経験を無限大の可能性へ変えるメディア」 (2023年12月22日). 2024年6月28日閲覧。
- ^ 日本バレーボール協会(事業本部部員・委員会委員名簿 2015年8月18日現在)
- ^ 龍谷大学女子バレーボール部ホームページ(部員・スタッフ紹介)
- ^ Vリーグ機構. “選手別成績”. 2015年2月14日閲覧。