The US FDA’s proposed rule on laboratory-developed tests: Impacts on clinical laboratory testing

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工藤 一彦
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県筑波郡谷田部町(現:つくば市
生年月日 (1956-05-20) 1956年5月20日(68歳)
身長
体重
186 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1974年 ドラフト2位
初出場 1978年8月11日
最終出場 1990年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

工藤 一彦(くどう かずひこ、1956年5月20日 - )は、青森県生まれ、茨城県筑波郡谷田部町[1]出身の元プロ野球選手投手)。野球解説者

経歴

土浦日大高校では、1974年春夏の甲子園にエースとして出場[1]。いずれも高校として初出場であった。春の選抜では1回戦では新居浜商に勝利するが、2回戦で報徳学園に惜敗[2]夏の選手権県予選決勝で松沼雅之がいた取手二高に勝利し出場。2回戦(初戦)で原辰徳らのいた東海大相模と延長16回の熱戦の末2-3xでサヨナラ負け[3]。同年の茨城国体(水と緑のまごころ国体)にも出場し、決勝で土屋正勝のいた銚子商に勝利し、優勝を飾る。

高校同期では捕手の荒川俊男(巨人)、中堅手の林真人(阪神)がプロ入りしている。当時は土屋、定岡正二永川英植とともに「高校四天王」と呼ばれ、各球団から注目された。

1974年のドラフト2位で阪神入団[1]。大器として期待されたが二軍暮らしが続く。プロ初勝利は5年目の1979年6月24日阪神甲子園球場での巨人戦だった。ただし「四天王」の中では1人だけドラフト2位指名ながら、プロの通算勝利数・現役実働年数は共に最多である。同年は先発陣の一角に定着し7勝、1982年には初の二桁勝利(11勝)に到達し、オールスターゲームにも選出された。

1983年は自己最多の13勝を記録する[1]。前年から100万円アップの年俸1900万円で契約更改した[4]

1985年から主として中継ぎに回り、同年のリーグ優勝にも貢献。西武との日本シリーズにも第3戦に登板している。

1990年限りで現役引退[1]

学生時代は陸上競技の経験があり、俊足だった。

1985年4月17日、甲子園での巨人戦に先発し7回3失点で交代したが、直後にバックスクリーン3連発があり、最終的に勝利投手となる。

1 2 3 4 5 6 7 8 9
巨人 2 0 0 0 0 0 1 0 2 5
阪神 1 0 0 0 0 0 5 0 x 6

1991年から朝日放送テレビ朝日放送ラジオサンテレビ野球解説者サンケイスポーツ評論家(大阪)として活躍した[1]。現在はテレビでは地上波を離れCS放送向けに阪神戦中継を制作するTigers-aiGAORAスカイ・Aスポーツプラス)で、新聞ではスポーツ報知で野球解説と野球評論を行なっている。また、甲子園球場近くでバーを開いている[5]

長男は元NPB審判員工藤和樹で、関大一高時代に久保康友と共に1998年春夏の甲子園に出場している(久保がエースで、和樹が控え投手だった)。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1978 阪神 1 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 8 0.2 5 0 0 0 0 0 0 0 5 5 67.50 7.50
1979 31 18 2 0 0 7 8 0 -- .467 493 119.0 109 17 35 5 2 83 2 0 63 54 4.08 1.21
1980 31 18 0 0 0 5 10 0 -- .333 538 125.2 140 21 29 3 3 79 1 0 70 57 4.07 1.34
1981 32 25 3 1 1 9 9 0 -- .500 684 163.2 163 22 42 3 3 99 3 2 75 69 3.79 1.25
1982 35 32 1 0 0 11 8 2 -- .579 857 204.1 208 12 52 6 0 96 1 0 81 68 3.00 1.27
1983 32 30 5 3 0 13 10 1 -- .565 754 175.1 177 24 62 4 2 66 3 1 87 81 4.16 1.36
1984 25 20 3 1 0 7 5 0 -- .583 445 102.1 117 19 29 2 1 39 1 0 62 58 5.10 1.43
1985 30 6 0 0 0 6 3 0 -- .667 313 75.0 80 15 14 1 1 40 1 0 38 32 3.84 1.25
1986 38 5 0 0 0 5 0 1 -- 1.000 362 86.2 94 8 21 5 1 49 1 0 39 36 3.74 1.33
1987 32 14 2 1 0 3 9 0 -- .250 437 104.0 113 19 18 2 1 57 2 0 55 50 4.33 1.26
1988 12 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 74 17.1 21 2 4 0 0 10 0 0 9 9 4.67 1.44
1989 5 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 37 7.2 13 2 2 0 0 4 0 0 8 8 9.39 1.96
1990 4 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 24 5.0 8 1 2 1 0 1 0 0 6 6 10.8 2.00
通算:13年 308 170 16 6 1 66 63 4 -- .512 5026 1186.2 1248 162 310 32 14 623 15 3 598 533 4.04 1.31
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

初記録
節目の記録
  • 1000投球回:1986年6月12日、対中日ドラゴンズ12回戦(ナゴヤ球場)、5回表2死目に達成
その他の記録

背番号

  • 19 (1975年 - 1978年)
  • 26 (1979年 - 1990年)

脚注

  1. ^ a b c d e f プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、196ページ
  2. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  3. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  4. ^ 13勝でも昇給100万円「おかしかった」 怒りの契約更改…絶望した"チーム内格差" | Full-Count
  5. ^ 連載コラム 「第二のプレイボール」Vol.7 | 神戸っ子

関連項目

外部リンク