江南の爛熟。画像は顧閎中が描いた「韓煕載夜宴図(北京 故宮博物館 蔵)」。五代十国 南唐 の後主李煜 時代の宮廷の優雅な様子がしのばれる。
「世界の宝石」コルドバ 。画像はコルドバにあるメスキータ の円柱の森。10世紀末までに歴代の後ウマイヤ朝 カリフによって改築が続けられ今ある姿となった。
ノルマンディー公 ロロ 。もともとは北欧のヴァイキング の指導者であったが、西フランク王からセーヌ川 河口の領土を分与され定着した。彼の直系子孫にノルマン朝 初代のイングランド 王ウィリアム1世 がおり、この血脈は現在のイギリス王室にまでつながっている。画像はルーアン 司教ギーに迎えられるロロ。
10世紀 (じっせいき)は、西暦 901年 から西暦1000年 までの100年間を指す世紀 。1千年紀 における最後の世紀である。
できごと
清涼殿落雷事件 。この落雷は昌泰の変 で大宰府 に流された菅原道真 の怨霊によるものと恐れられ、道真は北野天満宮 の祭神となった。画像は「北野天神縁起絵巻」。
承平天慶の乱 。平安京での政争をよそに地方では在地領主となった皇親やその他の門流が勢力を拡大していた。平将門 や藤原純友 の反乱もその現れであったが、反乱は鎮圧された。画像は東京大手町 にある平将門の首塚 。
平安京 と「物の怪 」。平安京の統治機構が弛緩するとともに、度重なる天災や疫病に疲弊した人々はその原因となる「物の怪」を一層恐れるようになり、密教 による加持祈祷 や陰陽道 に基づく物忌み や方違え を重視するようになった。画像は陰陽師 安倍晴明 の疫病神調伏を描く「泣不動縁起絵巻(京都・清浄華院 蔵)」。
かな文字 の誕生。日本独特の美意識の発展とともにかな文字が成立し、和様の書が生まれた。画像は万葉仮名から平仮名へと移行する段階の「草仮名」で書かれた「秋萩帖 (東京国立博物館 蔵)」で小野道風 によるものと伝わる。
契丹 人の伸張。ウイグル 帝国の崩壊や、唐王朝滅亡後の混乱で内陸アジアで勢力を拡大したのがモンゴル系の契丹人であった。その後、五代から宋にかけての華北政権を威圧し国勢を整えることになる。画像は契丹人を描いた「胡人出猟図」(台北国立故宮博物院 蔵)。
乱世の宰相馮道 。五代十国時代の後晋 から後周 の時代の政治家で、五朝八姓十一君に仕えたことで有名。後世、朱子学 の立場からは変節漢として評判が悪いが、李卓吾 のような思想家の評価は高い。画像は明代にまとめられた『無雙譜 』の挿絵に描かれた長楽老馮道。
宋 の建国。唐の滅亡以後、半世紀にわたる五代十国 の混乱にあった中国も趙匡胤 が宋の初代皇帝太祖として即位するに及び安定した時代を迎えた。画像は台北国立故宮博物院 所蔵の太祖趙匡胤の肖像。
マケドニア朝ルネサンス 。画像はキリストから加冠される皇帝コンスタンティノス7世 の象牙彫刻(ロシア・プーシキン美術館 蔵)。東ローマ帝国では古典研究が盛んになり、この皇帝自ら著作『儀式について』『帝国統治論 (英語版 ) 』を残している。
アトス山 。この時期に東ローマ皇帝の庇護を受けてアトスの修道生活が展開した。画像は最も古いメギスティ・ラブラ修道院 (英語版 ) の教会入り口から望む、アトスのアタナシオス に植えられたとされる樹齢1000年以上のイトスギ (サイプレス)。
聖公ウラディーミル1世 の洗礼。東ローマ皇女アンナとの結婚を期に洗礼を受けキリスト教(東方正教会)に改宗しロシア・ウクライナ史に大きな影響を与えた。画像はキエフ の聖ウラディーミル大聖堂 (聖ヴォロディームィル大聖堂)にあるヴィクトル・ヴァスネツォフ の壁画。
神聖ローマ帝国 の成立。オットー1世 が皇帝となり以後代々のドイツ君主が神聖ローマ皇帝位を占めることになった。画像はこの世紀に作られた神聖ローマ帝国の帝冠(ウィーン ・ホーフブルク宮殿 蔵)。
紀元1000年のヨーロッパ。新しい世紀の到来は期待と不安が混じったものだった。画像は950年代に描かれたスペインのサン・ミジャン修道院のベアトゥス『黙示録 注解』写本 (エル・エスコリアル修道院 蔵)。
マジャール人の定着。遊牧民族マジャール人もパンノニア平原に定着し、紀元1000年にはキリスト教を受容してハンガリー王国 を成立させている。画像はハンガリー初代国王イシュトヴァーン1世 がジュラの街を制圧したことを描く14世紀の年代記の挿絵。
イェリング墳墓群 。デンマークのハーラル青歯王 がキリスト教への改宗したことを記念してルーン文字 で刻まれた石碑である。
ケルト十字架 。ヴァイキングの襲撃も一段落したこの世紀、タラの王を中心にアイルランド 復興が進められた。画像はモナスターボイス (英語版 ) 修道院遺構で、アイルランド特有の「ハイクロス」と呼ばれるケルト十字架が今も聳えている。
チチェン・イツァ 遺跡。マヤ文明を代表する遺跡で8世紀までに衰退した後に、10世紀に改めて盛んに建設が行われた。画像はククルカン の頭部彫刻が付随した「金星の台座」でその先には「エルカスティージョ(ククルカン神殿)」を眺めることができる。
シカン文化 。ペルー北岸に発展した文化で10世紀から11世紀にはバタン・グランデを中心に金属工芸や織物の産業が組織化されていた。画像はこの文化を代表する「ツミ」と呼ばれる儀式用の刀剣(メトロポリタン美術館 蔵)。
アズハル大学 。ファーティマ朝時代にカイロのアズハル・モスク付属大学として設置された世界で最も古い大学である。
ブワイフ朝 の統治。バグダードを制圧すると衰勢のアッバース朝を組み込みイラン・イラクを支配下に置いた。画像はブワイフ朝時代のイランで作られた陶器(ニューヨーク・メトロポリタン美術館 蔵)。
サーマーン朝 の発展。この王朝の時代に東方イスラム世界でのペルシア文化の復興が進んだ。画像はブハラ にある中央アジア最古の建造物イスマーイール・サーマーニー廟 。
チョーラ朝 芸術の最盛期。画像はこの時代を代表する「舞踏の王」ナタラージャとしてのシヴァ 神像(ロサンゼルス・カウンティ美術館 蔵)。
プランバナン寺院群 。ジャワ島 で繁栄した古マタラム王国 のバリトゥン王時代に着工され、続く王ダクサによって完成をみたヒンドゥー教 の大寺院。
日本では平安時代 中期に差し掛かるころである。律令国家 体制を支えていた古墳時代 以来の在地首長階層と彼らに率いられていた伝統的な地域共同体が急速に没落し、それに依存していた班田 や戸籍 による地方統治や税収が困難となる。この地方社会の変動への対策として地方に赴く筆頭国司(受領 )に大きな権限を与え、あらたに経済力を握り台頭してきた富豪層 を負名 に編成し、田堵 として公田 経営を請け負わせる王朝国家 体制への社会変動で律令制は形骸化した。受領の国衙統治において私的武力を蓄えた富豪層を統制する軍事警察力を担う階層として武士 が登場することで中世社会への変化が本格的に生じる。
900年代
910年代
920年代
930年代
940年代
950年代
960年代
970年代
980年代
990年代
1000年代
架空のできごと
10世紀 - フランスのポワトゥー 地方の領主としてリュジニャン家 が登場するが、この家の始祖は下半身が蛇である妖精メリュジーヌ を妻としていた。メリュジーヌの力により居城のリュジニャン城も建てられている(「メリュジーヌ伝説」)。
928年 - 旅の僧安珍が清姫に懸想され逃亡するも、紀州道成寺 の大鐘の中で蛇体と化した清姫に焼き尽くされる(『大日本国法華験記 』ほか「安珍・清姫伝説 」)。
928年 - 五代十国 後唐 では国王と王妃の間は冷え切っていた。王妃に毒を盛る国王、皇太子と不倫する王妃、そしてそれをとりまく人々。この年の秋、城一面が菊の花で覆いつくされた中で催される豪奢な饗宴は、王家をめぐる陰謀と内乱の始まりだった(原作は曹禺 の『雷雨』、張芸謀 監督の映画「王妃の紋章 」でも有名)。
930年 - 信貴山 の命蓮が祈祷により、転輪聖王 の金輪を転がす剣の護法童子 を遣わし、醍醐天皇の病気を平癒させる(『信貴山縁起 絵巻』)。
930年以前 - 皇子の身の上ながら盲目のため疎まれた蝉丸 は父である醍醐天皇 に捨てられ、逢坂山 にて出家生活を営んでいた。そこへ同じく異形の者だということで捨てられ放浪していた姉の皇女逆髪が蝉丸のもとを訪れ、不幸の境遇を慰めあう(能『蝉丸 』)。
939年以前 - 近江国 三上山 の百足 が琵琶湖 の龍神に依頼された藤原秀郷 (俵藤太)によって討たれる(『太平記 』ほか「百足退治伝説」)。
940年 - 平安京で晒し首にされた平将門 の首級が関東を目指して舞い上がり空中を飛行し武蔵国 豊嶋郡 芝崎村(東京都千代田区大手町)に落下する(「平将門の首塚 伝説」)。
940年以降 - 平将門の娘滝夜叉姫 は一族郎党が滅ぼされた中にあって生き残り、貴船神社 で復讐の成就を祈願し、下総 の相馬の古御所に拠って朝廷転覆の謀略を巡らせることとなる(山東京伝 の読本『善知鳥安方忠義伝』)。
956年 - 藤原師輔 が内裏から退出して二条大宮「あははの辻」にて百鬼夜行 に遭遇するも「尊勝陀羅尼 」を誦して難を逃れる(『大鏡 』)。
960年 - この年に興化軍 莆田県 湄州島 の都巡林愿の六女として生まれた黙娘は、幼少の頃から才気煥発で信仰心も篤かった。16歳の頃に神通力を得て村人の病を治すなどの奇跡を起こし「通賢霊女」と呼ばれ崇められた。しかし28歳の時に官吏の父が海難に遭い行方知れずとなる。これに悲嘆した黙娘は旅立ち、その後、峨嵋山の山頂で仙人に誘われ、航海と商業の守護神媽祖 となったという(「媽祖の伝説」)。
970年 - 信濃国 戸隠 の鬼女紅葉が勅命を受けた平維茂 によって討たれる(能『紅葉狩 』や小説『北向山霊験記戸隠山鬼女紅葉退治之傳全 』ほか「紅葉伝説 」)。
976年 - 比叡山 の稚児であった梅若丸が人買いの信夫藤太により連れ出され、奥州に行く途上に隅田川 の近辺で病に倒れ12歳で死去。その後その母が安否を尋ね隅田川に来た時に霊となった梅若丸が出現する(木母寺 の伝承・能『隅田川 』ほか松若丸伝説)。
980年以前 - 平安京 の朱雀大路 の南端にある羅生門 はかねてから荒廃が著しく、楼門の二階には行き場のない遺体が放置されていた。ある若い下人がこの門を上がり、暗がりの中で死んだ女性の髪を梳く老婆に遭遇する(原典は『今昔物語集 』、これをもとに芥川龍之介 の小説『羅生門 』が創られる)。
995年 - 丹波国 大江山 の酒呑童子 が勅命を受けた源頼光 と頼光四天王 によって討たれる(「酒呑童子 伝説」)。
996年以降 - 神聖ローマ皇帝 オットー3世 のもとへ無実の罪で斬首にされた夫の首を携え無念を晴らすべく伯爵夫人が現れる。夫人は皇帝の面前での神明裁判 で熱せられた鉄塊を握りしめ身の潔白を訴え勝利を勝ち取る(「オットーの審判伝説」)。
999年以前 - オーリヤックのジェルベールが、コルドバのアラブ人から魔術を学びその技により悪魔と契約する。やがて彼はシルウェステル2世 として教皇となる(「教皇シルヴェステル2世の悪魔伝説」)。
人物
東アジア
唐
崔胤 (? - 904年 ) - 唐末の宰相・李茂貞から皇帝昭宗 奪還のため朱全忠と結び宦官勢力を殲滅・後年朱全忠に殺される
裴枢 (841年 - 905年 ) - 唐末の宰相・朱全忠により他の高官とともに白馬で虐殺される(白馬の禍 )
李振 (? - 923年 ) - 唐末五代の政治家・朱全忠の腹心・唐の昭宗 を弑逆し朱全忠に白馬での高官殺害を進言する
李茂貞 (856年 - 924年 ) - 唐末五代の節度使・皇帝昭宗を擁して鳳翔 遷都を企てるも挫折・唐滅亡後は独立
五代十国
朱全忠
北宋
契丹
朝鮮
日本
源経基
イスラム世界
サーマーン朝
カラハン朝
ガズナ朝
アルプテギーン
ブワイフ朝
ファーティマ朝
後ウマイヤ朝
学者・詩人
南アジア
キリスト教世界
フランス王国
神聖ローマ帝国
イタリア
東ローマ帝国
東欧
北欧
アイスランド
脚注
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、10世紀 に関するカテゴリがあります。