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綾瀬川
綾瀬川
綾瀬川と草加松原(埼玉県草加市)
水系 一級水系 利根川
種別 一級河川
延長 49.0[1] km
平均流量 -- m3/s
流域面積 165.2[1] km2
水源 埼玉県桶川市
水源の標高 -- m
河口・合流先 中川東京都葛飾区
流域 埼玉県、東京都
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綾瀬川起点の碑(桶川市小針領家)

綾瀬川(あやせかわ、あやせがわ)は、埼玉県および東京都を流れる河川利根川水系中川の支流である。

地理

埼玉県桶川市の小針領家[1]の田園地帯の排水に源を発し、桶川市営運動場付近を流れ東に向かう。徐々に方向を南東に変えて北足立郡伊奈町蓮田市の境となる。右岸が上尾市に変わるところで、原市沼川を合わせる。以後蛇行しながら南東に流れ、いくつもの農業用水や排水路の水をあわせて次第に流量を増す。綾瀬川によって形成された低地によって大宮台地の片柳支台、鳩ヶ谷支台および岩槻支台が隔てられている。

以後中川低地に至り、草加市越谷市あたりでは川幅が数十メートルになる。しかし草加市で綾瀬川放水路を東に分け、一気に流量を減らす。綾瀬川放水路は洪水防止のために作られたもので、東京外環自動車道の下を通って中川に流れ込む[注釈 1]

草加市内では古綾瀬川を合わせ、東京都足立区と埼玉県八潮市の境に入る辺りで伝右川毛長川を合わせる。足立区では花畑運河で中川と連絡する。葛飾区荒川放水路の左に沿って流れ、葛飾区東四つ木で中川に合流する。

荒川放水路が開削される前は、現在の旧綾瀬川を経由し隅田川に合流していた[2]

歴史

札場河岸公園(日光街道・綾瀬川の荷揚場跡、草加市)の芭蕉像

中世

戦国時代の頃は利根川荒川の本流であった。当時の利根川・荒川は、現在の綾瀬川源流の近く、桶川市と久喜市の境まで元荒川の流路をたどり、そこから現在の綾瀬川の流路に入った[2]。現在の元荒川下流は、当時星川のものであった。戦国時代にこの間を西から東につなぐ水路が開削されて本流が東に流れるようになり、江戸時代に備前堤が築かれて綾瀬川が分離した[3]。この経緯により、一部の地図には綾瀬川(旧荒川)の括弧書きが行われる事がある。

綾瀬川の川筋は、武蔵国内の足立郡埼玉郡の境界とされていた[2]

綾瀬川鐘か淵(1857年、歌川広重

近世

江戸時代初めまで、綾瀬川中下流は低湿地で通行が困難であった。また大雨が降るたびに川筋が変わり、一定しないことから「あやし川」と呼ばれ[4][5][6]、後に「綾瀬川」と変わっていったと伝えられる。まず伊奈忠次らによって堤が整備され、伊奈忠治らによって流量を調整するために武蔵国足立郡内匠新田(現・足立区南花畑の内匠橋付近)-葛飾郡小菅間に平行して新綾瀬川が開削された(現在の綾瀬川はこの新しい流路を指す)。流末は隅田川に合流していたが、1920年(大正9年)の荒川放水路の開削によって分断され、その左岸側に沿うように新流路が開削されて中川に合流するように改められ、1930年(昭和5年)に竣工している[7]

備前堤(綾瀬川流域)の開発
綾瀬川の雪(1915年、高橋松亭

慶長年間(1596年 - 1615年)には備前堤が築造され、綾瀬川が荒川から切り離され、綾瀬川流域の低湿地の開発と綾瀬川自身を流域の用水源としたという[8][注釈 2]

当時の日光街道(奥州街道)は、江戸付近の千住宿から、いったん東に回って松戸宿を経由し、西に戻って越ヶ谷宿に出てから北に向かっていた。寛永7年(1630年)に草加宿の設置が決まり、おそらく[要出典]これにあわせて、天和3年(1683年)に綾瀬川の直線化の工事が行なわれた。これ以後、日光街道は一部綾瀬川沿いを通るようになった。

舟運

綾瀬川は「緩流河川のために舟運には極めて都合よく、草加、蒲生、戸塚、縄手、妙見、簀の子、馬込の河岸場のほか積荷場が設置され、貨物の輸送が盛ん」であった[9]

環境

さいたま市見沼区丸ヶ崎地区 水神橋付近

20世紀半ばまでホタルが飛び交うほどのきれいな川であったが、高度成長期には生活排水や工業排水が流入し水質が悪化した。近年は徐々に回復し、コイフナサッパスズキなどが増えてきている。2007年にはアユも確認された。上流域では用水堰が設けられ、農業用水としての利水もある[10]

1980年から15年連続で全国の一級河川水質ランキングのワースト1位にランキングされ[11]、水質の改善は進んではいるが、2004年の調査で日本一汚れた川(2010年の調査では2年連続でワースト1位)となるなど、他の河川と比べると更なる改善が必要とされている。現在、埼玉高速鉄道線のトンネルを活用して荒川の水を引き込み、芝川などと同様、綾瀬川に注ぐことで水質を改善する工夫が行われている[11]

2006年には、公共用水域環境基準を超えるダイオキシン類環境省により検出され、対策が検討されている。支流の古綾瀬川の底質ダイオキシン類対策についても先進的な取り組みがなされている。

綾瀬川由来の町村名

町制施行の際に改称されたり編入された結果、現在はいずれも存在しないが、これによって本来は河川の名前であった「綾瀬」が綾瀬川流域のうちの特定の地域名または地区名として定着することになった。

  • 東京府南足立郡綾瀬村
  • 東京府南葛飾郡南綾瀬村
    • 1889年5月1日 - 下千葉村・上千葉村・小菅村・小谷野村・堀切村・柳原村などが合併して「南綾瀬村」が発足。
    • 1928年2月1日 - 町制を施行して「南綾瀬町」となる。
    • 1932年10月1日 - 東京市へ編入。葛飾区の一部となる。

支流

綾瀬川右岸に合流する原市沼川

橋梁

埼玉県
大堰橋付近(伊奈町小室地区)
風間橋付近(さいたま市岩槻区並木地区)
川口市東川口六丁目付近
蒲生大橋より夕景を撮影
埼玉県及び東京都
東京都
  • 桑袋大橋
  • 内匠橋(埼玉県道・東京都道102号平方東京線)- これより上流は国土交通省江戸川河川事務所、下流側は東京都が管理。
足立区内匠橋付近
綾瀬川と中川の合流点

調節池

  • 大門上池調節池
  • 大門下池調節池
  • 新和西調節池

脚注

注釈
  1. ^ 綾瀬川の水質改善を図る為、この放水路を活用し中川から導水する場合もある。
  2. ^ 備前堤の築造時期には慶長年間とする説の他に、中条堤、箕田郷堤等の築造と符号させて中世とする説、寛永年間伊奈忠治の築造とする説など主なものに3説ある(秋葉(1987),368p)。
出典
  1. ^ a b c d 綾瀬川、埼玉県、2010年3月19日、2015年12月7日閲覧。
  2. ^ a b c 流路変遷にまつわる荒川七ふしぎ” (PDF). 国土交通省 関東地方整備局 (2008年11月12日). 2013年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年7月16日閲覧。
  3. ^ 松浦『国土づくりの礎』 p40, 47。
  4. ^ 綾瀬川の歴史・文化 - 国土交通省 関東地方整備局
  5. ^ 区内を流れる川の名前(綾瀬川・毛長川)”. 足立区役所 (2017年7月8日). 2017年11月24日閲覧。
  6. ^ 本間清利 (1993, pp. 44–46)
  7. ^ 本間清利 (1993, pp. 58–59)
  8. ^ 秋葉(1987),368p
  9. ^ 秋葉、(1987年)、370頁。
  10. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1980年7月8日、81頁。ISBN 4040011104 
  11. ^ a b 荒川水系河川整備基本方針” (PDF). 国土交通省. p. 70 (2002年4月4日). 2017年10月22日閲覧。

参考文献

  • 『国土づくりの礎』(松浦茂樹、1997年、鹿島出版会。ISBN 4-306-02320-6
  • 秋葉一男「第4章 近世社会の荒川 第1節 荒川流域の開発と瀬替え」『荒川 人文I -荒川総合調査報告書 2 -』(1987年)、365-393頁。
  • 本間清利『写真で見る埼玉東部今昔物語』望月印刷、1993年10月30日、44-63頁。 

関連項目

外部リンク