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洋裁(ようさい、英: tailoring, dressmaking)は、洋服を作るための裁縫で、和裁に対する言葉である。洋裁は、縫うことばかりでなく、型紙を作り、裁断し、仮縫いして、本縫いし、仕上げるまでの過程を含んだ意味に解釈されている。
職業として洋裁をする人は、紳士用婦人用のスーツやコートなどの仕立て屋と、婦人用のドレスやブラウスなどの仕立て屋に大別される。前者はテーラー(英: tailor)、後者はドレスメーカー(英: dressmaker)やクーチュリエ(仏: couturier)と呼ばれる。
原始的な時代には、人間は一片の獣皮や、樹木のはまたは皮などを束ねたものなどを身につけていたに過ぎなかったと思われるが、しかし、やがて獣皮は鋭い石で内面を綺麗に削り取り、またそれをやわらかく乾かして衣服に作り、同時に一片は二片となりそれを魚や動物の骨の針で縫いつづることを知ったであろうから、ここに人間にとって最初の裁縫が発祥したことになる。もっとも、これまでくるには非常に長い年代を経ているに違いなく、そしてついに着物らしいものができたのは割合に近い昔のことであったと考えられている。旧石器時代の人類は衣服を着用していた形跡があり、旧石器時代から新石器時代の遺物の中に、骨製の有孔および無孔の針があった。早くから文明の開けた古代ペルシアやバビロニアにおける衣服は、半ば裸体で裁断もほとんどない布地をまといつける式のもので、そのまとい方に方法があり、腰衣、袈裟衣、肩衣などのように分けられる。しかしこれらの裁縫の必要のない衣服にも刺繍や房飾り、縁飾などの手芸を施す場合が多い。
古代エジプトの衣服は腰衣が主で、これにケープ風の肩衣をまとい裁縫の必要はないものであったが、美しい刺繍や宝石などを取り付ける技術は施されていた。古代ギリシアや古代ローマではほとんど裁縫の必要のないキトン、トガ、ヒマティオンが着用され、長大な布を肩でとめたり、紐、帯、ピンなどによって着付けがされた。3世紀の初めにはキリスト教の影響で、ダルマティカと呼ばれる衣服が着用されだしたが、首の出穴と袖口とすそとがあいていて、その他は縫い付けられていた。ビザンティン時代の後北方民族の侵入により衣服の形態は変化し、それにつれて裁縫の技術も進歩した。すなわち南方系の衣服が開放的であるのに対して、北方系の衣服は密着式でこのため合理的なツーピースの形態がとられ、男子はジャケットとズボン、女子はジャケットとスカートが組み合わされていた。
さらに13世紀に興った新しい裁断法は立体裁断ともいうべきもので、現在の洋服裁縫の基礎となったものといえよう。これ以後はもっぱらこの立体裁断法が追求され各種の方式が生まれた。中世には裁縫師のギルドが形成され厳しい工人の養成がなされたが、一方家庭では主婦が裁縫に携わり、女子は自分の結婚衣裳を自らの手で縫う風習があった。しかし裁縫用具などはまだ手作りのものが多かったらしく、ヨーロッパで針やピンの産業が興ったのは中世以後のことであり、イギリスでは針もピンも16世紀までは家内製作であり、またボタンの工業などもエリザベス女王時代になってから興った。
18世紀にミシンの発明があり、その後改良が加えられて19世紀の初期には広く普及した。このために既製服および注文服が目覚しく発達し、次第に家庭裁縫は分野が異なってきて、衣服の購入、保存、補綴などに重点がおかれるようになってきた。
日本では、終戦後 - 昭和30年代には女性が内職できる仕事として洋裁が広く行われた。 1949年時点で、洋裁学校の全国に2000校、生徒数は20万人に達していた[1]。現在のテーラーは既製服の発達により、服飾全般を扱うのではなく主にスーツやコート、シャツを仕立てる職業となっている。