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南山 宏 (みなみやま ひろし) | |
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ペンネーム |
M・M 森 勇謙 |
誕生 |
森 優(もり ゆう) 1936年7月29日(88歳) 日本・東京府東京市 |
職業 | 作家、翻訳家、怪奇現象研究家、編集者 |
国籍 | 日本 |
ジャンル | 小説、翻訳 |
代表作 |
『火星の合成人間』(1967年) 『透明人間』(1972年) 『宇宙のランデヴー』(1979年) 『アビス』(1989年) 『プロフェシー』(2002年) 『地球の静止する日』(2008年) |
親族 | 森詠(弟) |
ウィキポータル 文学 |
南山 宏(みなみやま ひろし、1936年7月29日 - )は、日本の作家、翻訳家、怪奇現象研究家、編集者。
本名の森 優(もり ゆう)名義での著作もある。
『SFマガジン』編集前記に使用した「M・M」という頭文字は、本名の「ゆう」を「まさる」に読み替えて筆名としたもの。他のペンネームに大山優、森勇軒、森勇謙がある。
東京府東京市(現在の東京都港区)生まれ。筆名は母校の港区立南山小学校に因む。東京外国語大学ドイツ語学科在学中、SF同人誌『宇宙塵』の初期の同人となる。当時から、野田昌宏と共にアメリカSF小説の収集家として名を馳せていた。
『宇宙塵』主催者の柴野拓美の紹介により早川書房でアルバイトを始めたことがきっかけとなり、大学を中退して1961年に早川書房へ入社。SF部門の2人目の社員だったため、福島正実配下で即日副編集長を務める。
1969年に福島正実が作家たちと対立して急遽退社したため、『SFマガジン』2代目編集長となり、また福島が企画していた世界初のSFの全集『世界SF全集』(1968年 - 1971年)を完結させる。
また1970年には、早川書房の初の文庫本であるハヤカワSF文庫を創刊。海外作家のスペース・オペラやヒロイック・ファンタジーなどのシリーズ作品や、平井和正の「ウルフガイ・シリーズ」など、娯楽性が高い作品を刊行。福島の文学路線とは一線を画し、SFのエンターテインメント路線へと舵を切った。特にその文庫ではカバー、口絵、挿絵に当時気鋭のイラストレーター(武部本一郎、斉藤和明、生頼範義、深井国他)や漫画家(石森章太郎、松本零士、坂口尚他)を積極的に起用した。これらは次段階(1974年以降)での『SFマガジン』本誌での連載や掲載分を含めて画集や漫画単行本の企画までを構想したものであり、そのビジュアルを重視した戦略は後の〝SFブーム〟(1977年以降)の先鞭として極めて注目に値する。
また、1971年には筒井康隆『脱走と追跡のサンバ』でシリーズ「日本SFノヴェルズ」を刊行開始している。このシリーズの2冊目が半村良の初長編『石の血脈』である。森は半村の作風を伝奇ロマンと命名した。
1974年に超常現象研究に専念するため退社して、フリーとなる。以降、超常現象に関する著作や翻訳を多数刊行。「日本における超常現象研究の第一人者」と呼ばれるようになる。
また武田崇元らと共に、オカルト雑誌『ムー』の1979年の創刊以来からの顧問を務める。
英国「フォーティアン・タイムズ」(Fortean Times)特別通信員。日本フォーティアン協会顧問。バベル翻訳外語学院講師。
日本推理作家協会会員。
日本SF作家クラブ会員だったが、2013年、他のベテランSF作家らとともに名誉会員に[1]。
「剛の福島正実」に対して「柔の森」と呼ばれる穏やかな人格で、ともすれば対立しがちな作家と福島の間を取り持ったのは両三度にとどまらない。またSF作家の知恵袋的な存在でもあった。ネス湖、マヤ、エジプトのピラミッド、コスタリカの真円球などSF作家の飯の種になりそうな場所を飛び回って取材していた。こうした超常現象に関する資料を教えてもらった経験は、多くのSF作家に共通している[2]。
実弟は小説家の森詠。