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名前 | ||||||
愛称 | ズミ | |||||
カタカナ | オガワ ヨシズミ | |||||
ラテン文字 | OGAWA Yoshizumi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1984年8月25日(40歳) | |||||
出身地 | 東京都杉並区 | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 67kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
宝陽幼稚園 | ||||||
-1996 | 三菱養和SSジュニア | |||||
1997-1999 | 三菱養和SSJr.ユース | |||||
2000-2002 | 市立船橋高校 | |||||
2003-2006 | 明治大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2007-2016 | 名古屋グランパス | 286 | (36) | |||
2017 | サガン鳥栖 | 5 | (0) | |||
2017 | → アルビレックス新潟 (loan) | 10 | (1) | |||
2018-2019 | アルビレックス新潟 | 26 | (2) | |||
通算 | 327 | (39) | ||||
監督歴 | ||||||
2020-2022 | FCティアモ枚方 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
小川 佳純(おがわ よしずみ、1984年8月25日 - )は、東京都杉並区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。
東京都杉並区にある宝陽幼稚園でサッカーを始める[1][2]。宝陽幼稚園サッカー部の先輩Jリーガーの山田卓也、南雄太、三田光に次ぐ4人目のプロサッカー選手。杉並区立富士見丘小学校3年の時に三菱養和SC千歳船橋スクールに入団[1]。中学進学前にヴェルディジュニアユースのセレクションを受けたが選考不通過となったため、三菱養和ジュニアユースでプレーを続けた[1]。3年次に初の全国大会となったクラブジュニアユース選手権でベスト8を経験[1]。
高校は船橋市立船橋高等学校に進学。第57回国民体育大会少年の部で優勝、第81回全国高校サッカー選手権大会で優勝を経験したときの決勝戦で唯一の得点を挙げた。当時のチームメイトに青木良太、大久保裕樹、小宮山尊信、原一樹、1学年後輩に増嶋竜也、カレン・ロバート、鈴木修人、佐藤優也がいる。高校卒業後は明治大学商学部に進学した。大学時代の同期には、福田健介と森賢一がいる。大学でもレギュラーとして活躍し、関東大学選抜にも選ばれた[1]。在学中に名古屋グランパスエイトとサガン鳥栖から練習帯同のオファーがあり練習に参加[1]、鳥栖からは良い返答がなかったが名古屋からは再度の練習参加のオファーが届き[1]、2006年11月、名古屋とプロ契約。
ルーキーイヤーの2007年、J1第22節大宮アルディージャ戦で初出場を果たし、J1第27節柏レイソル戦で初得点を挙げた[3]。リーグ戦11試合に出場、2得点を挙げた。
2008年、新監督のドラガン・ストイコビッチによって中盤の右サイドでレギュラー起用され、アシストだけではなく自ら得点に絡み、FW以外では最多となる11得点を挙げた[4]。同年夏には日本代表の強化合宿にも参加している。リーグ戦11得点11アシストを記録し、優秀新人賞に選ばれた。同年にプロ入りした大学の2年後輩の長友佑都、市立船橋高校時代の同期生の原一樹も優秀新人賞に選ばれ、近しい3人で新人王を争い小川が新人王を獲得した。また、小川はJリーグベストイレブンとのダブル受賞であった。
2009年には前年まで藤田俊哉が着用し、またストイコビッチ監督が現役時代に名古屋で着用していた背番号10を継承してシーズン開幕に臨んだ。試合で激しいマークを受ける機会も増したことや、チームの不調もあり前年のようなプレーができず、前半戦最後の5月24日ジュビロ磐田戦では2回の警告を受け累積退場となった。小川自身だけではなく、ストイコビッチ監督下のチームにおいても初めての退場であった[5]。シーズン終盤からシステムが4-3-3に変更されたことに伴い、攻撃的ミッドフィールダー、守備的ミッドフィールダー、右ウィングと複数のポジションをこなしている。
2016年シーズン終了後に契約満了により、10年間在籍した名古屋を退団する事が発表された[6]。その後、サガン鳥栖へ入団することも発表された[7]。しかし、鳥栖ではリーグ戦での出場機会に恵まれず、2017年8月にアルビレックス新潟へ期限付き移籍[8]。
2017年11月26日、史上97人目となるJ1通算300試合出場を達成する[9]。2018年から新潟へ完全移籍し[10]、同年8月にキャプテンであった磯村亮太がV・ファーレン長崎へ移籍したことに伴い後任のキャプテンに選出され[11]、同年末まで務めた。2019年末に契約満了により新潟を退団した[12]。
2020年1月、現役引退とFCティアモ枚方の監督就任が発表された[13][14]。就任1年目ながら、チームを関西サッカーリーグ初優勝に導き、全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2020では、一次ラウンドを2勝1分の首位で通過。決勝ラウンドは1勝2分・勝点5で3チームが並んだものの得失点差で優勝し、チームの日本フットボールリーグ(JFL)昇格へと導いた。
2022年9月26日、FCティアモ枚方の監督を退任[15]。
2023シーズンよりサガン鳥栖のトップチームコーチに就任が発表された。[16]
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2007 | 名古屋 | 29 | J1 | 11 | 2 | 2 | 0 | 2 | 0 | 15 | 2 |
2008 | 33 | 11 | 9 | 2 | 3 | 0 | 45 | 13 | |||
2009 | 10 | 33 | 3 | 2 | 1 | 5 | 0 | 40 | 4 | ||
2010 | 34 | 2 | 6 | 0 | 2 | 1 | 42 | 3 | |||
2011 | 34 | 3 | 2 | 0 | 3 | 1 | 39 | 4 | |||
2012 | 31 | 1 | 2 | 0 | 4 | 2 | 37 | 3 | |||
2013 | 33 | 9 | 4 | 0 | 1 | 0 | 38 | 9 | |||
2014 | 25 | 3 | 4 | 2 | 4 | 1 | 33 | 6 | |||
2015 | 32 | 1 | 4 | 1 | 0 | 0 | 36 | 2 | |||
2016 | 20 | 1 | 6 | 0 | 1 | 0 | 27 | 1 | |||
2017 | 鳥栖 | 20 | 5 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 10 | 0 | |
新潟 | 40 | 10 | 1 | - | - | 10 | 1 | ||||
2018 | J2 | 21 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 22 | 2 | ||
2019 | 5 | 0 | - | 1 | 0 | 6 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 301 | 37 | 45 | 6 | 26 | 5 | 372 | 48 | |
日本 | J2 | 26 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 28 | 2 | ||
総通算 | 327 | 39 | 45 | 6 | 28 | 5 | 400 | 50 |
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2009 | 名古屋 | 10 | 10 | 5 |
2011 | 7 | 0 | ||
2012 | 5 | 0 | ||
通算 | AFC | 22 | 5 |