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塚(つか、旧字体:塚󠄁、英語: Mound)とは、その周囲の地面より、こんもりと丸く盛り上がった場所を指し、具体的には何かが集積、堆積した盛り上がりや、小さな山や丘や古墳などである。または、それらの場所や、特別な意味のある場所に、建立された石造や木造などの祠や塔や碑など。
遺跡としての塚は古墳(こふん Kofun)・塚山(つかやま Barrow)・墳丘墓(ふんきゅうぼ Tumulus)を参照。その他の人工的な地盤の盛り上がり(Mound)は、土塁・盛土を参照。
塚には、必ずしも遺骸が埋葬されているとは限らず、身分のある一族が埋葬されている事を指すことが多く尊いものとされている。通常の家系や戸主が守り伝える私的な墓ではなく、広く万人が弔うような墓をさし、祖霊信仰の枠組みから外れてしまうような、縁故のない者の御魂を祭った墓を義塚(ぎちょう)と特別に呼称した。一方で不特定多数の縁故のない者の御魂(霊魂)だけでなく、無念を持って死んだ有力者などを積極的に祀り、塚を建て万人が鎮魂、信仰した側面もある。古墳時代の朝廷や豪族の墓とされる古墳も、その形状からだけでなく万人が慰霊したことが、名称に塚が多く用いられている理由とも考えられる。
具体的には日本の民間信仰である古神道に、密教や道教の陰陽五行思想などとの習合した様々な信仰において、祈願祈念や感謝や慰霊の記念として、多くは土を小高く盛った上に建立した自然のままの岩や祠(木造や石造)や石塔などの碑である。
古神道に由来する観念として、無念を持った者の魂が神霊となり、荒ぶる神にならぬよう祀ったものでもあり、古神道の根幹をなす、万物に神や命が宿るという観念から、感謝や祈願をこめて器物(道具など)や生き物を祀ったものでもある。
古事記はイザナギとイザナミが、常世(とこよ・黄泉の国)から逃げ帰る時に、鬼神の追っ手を防ぐために、「千引岩」(ちびきのいわ)を結界として用いたことと、磐境(磐座信仰)が結びつき、「結界の神」である「賽の神」(さいのかみ・幸の神)がうまれ、塚が結界としての意味を持つようになっていき、磐座信仰から派生したといわれる石造を主としたものになっていった。猿田彦を騙し、ニニギノミコトの道案内をさせ、後に夫婦となったアメノウズメの神話から「衢神」(ちかたのかみ・ちまたのかみ)という「道の神」がうまれ、「賽の神」と合わせてこの二つが習合し道祖神信仰となり、この道祖神にとなっていった。道祖神信仰は旅の無事を祈願した「手向神」(たむけのかみ)とも習合し、一里塚や峠の塚など集落から離れた場所にも、塚が建立されるようになった。
(「○○塚」という表記がまったく同じでも、その建立された意図や意味(場所も別々)が違うものもあり、様々である。例として「姫塚」は古墳の名称である塚と「とある姫」が亡くなったことを祈念した「姫塚」がある。項目の分類も便宜的なものであり、密教塚のように信仰に関わる祈念としての側面を持つものや、鯨塚のように感謝だけでなく慰霊の側面を持つものもある)
古来から日本では、森羅万象に神霊や命が宿る考えてきた。これは、文化人類学におけるアニミズム論でもいわれるように、世界中の初期文明において、押並べて自然発生的に生まれた信仰と同じくするものである。古神道ともいい、その起源は分かっているだけでも、縄文時代まで遡り、縄文神道ともいわれるが、封建社会を経て近代化してもなお、このような原始宗教ともいわれる世界観を持ち合わせる国は少なく、塚の建立は日本独特に育まれてきた観念からの祭礼でもある。塚を荒らした一族ではないのふとどき者は罰を受け、一族とは離れた場所に小さな塚を作り、葬られる事もしばしばあった。
高名な人々の足跡や業績に対し、敬意や信望から奉った(たてまつった)ものや、人々の安寧を願い、ある信仰や思想の流布の象徴(経塚・酒塚など)として建立された塚である。
古神道や神道において、神霊は二つ(四魂という考えもある)の様相を持ち荒御魂(あらみたま)・和御魂(にぎみたま)ともいい、荒れ狂う時と和やかな落ち着いた時があり、禍と福をもたらすと考えられている。また祖霊信仰や自然崇拝から、無念を伴って亡くなった生命は荒御魂になり、禍をもたらすこともあると考えていたので、その御霊代(みたましろ・依り代)として塚を建立し慰霊して来た歴史がある。「祭り」の本来の漢字の意味は慰霊である。
室町時代の頃から軽工業の発達により、都市部を中心に、消費社会の傾向が出始めていた。それまでは、自然崇拝や祖霊崇拝であった観念が、家畜や器物(生活の道具)にまで及び、「もの」を粗末にしないようにとの思いから、付喪神などの神霊の観念が生まれ、江戸時代まで引き継がれた。そして、昨今の研究によれば、江戸時代は世界で例を見ない資源還元(リサイクル)社会であったといわれている。
古神道の世界観は、現実世界としての現世(うつしよ)と神域や神の国や死後の世界としての常世(とこよ)・(幽世「かくりよ」とも)に分かれており、神奈備(かむなび)や磐境(いわさか)や神籬(ひもろぎ)などは、その神域との端境であると考えられ、結界としての注連縄が張られ、時には禁足地ともなった。場所だけでなく、逢魔時や丑三つ時のように、一日の時刻にもその神域へ誘う、端境があると考えられた。これらが時代を経るにしたがい、道の形状の特徴的な峰や峠や坂や、時には橋や門や村境や町境などの集落の境界や、道の交差する辻なども、その神域との端境と考えられた。
もともとは、「道に迷わないよう」にと作られた道標(みちしるべ)でもあるが、「集落に禍が及ばないよう」にとの思いからの結界でもある。同時に、旅や道すがらの安全を願って建立された塚や、それに類する石造りの像が、今日でも信仰され路傍にひっそりと佇んでいる。
入山権や山の帰属や村境や町境をめぐって紛争があり、人々の無念の思いや被害があったことや、その場所がいわゆる神域などの神聖な場所であったことから、そこに宿る神や紛争で命を落としたものに対して、祭った塚が日本各地に存在する。
基本的には、何かが集まった状態で、人や生き物によって築かれる小山も、塚といった。水塚も見方を変えれば、緊急時のための食料を集積した貯蔵庫であるし、密教塚も宗教的な意味合いもあるが、貝塚と同様に残滓の集積でもある。
塚の類例
その他の塚