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やつしろし 八代市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 熊本県 | ||||
市町村コード | 43202-4 | ||||
法人番号 | 9000020432024 | ||||
面積 |
681.29km2 | ||||
総人口 |
117,751人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) | ||||
人口密度 | 173人/km2 | ||||
隣接自治体 |
宇城市、八代郡氷川町、葦北郡芦北町、下益城郡美里町、上益城郡山都町、球磨郡水上村、五木村、山江村、球磨村 宮崎県東臼杵郡椎葉村 | ||||
市の木 | 晩白柚 | ||||
市の花 | 桜 | ||||
他のシンボル |
市の鳥:カワセミ 花など=市民の花ヤツシロソウ 市章:八代市章 市の歌: 八代市民の歌「陽は昇る」 市の愛唱歌:「わたしのまちは」 | ||||
八代市役所 | |||||
市長 | 中村博生 | ||||
所在地 |
〒866-8601 熊本県八代市松江城町1-25 北緯32度30分27秒 東経130度36分06秒 / 北緯32.50756度 東経130.60172度座標: 北緯32度30分27秒 東経130度36分06秒 / 北緯32.50756度 東経130.60172度八代市役所 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
特記事項 | 市外局番:0965(市内全域) | ||||
ウィキプロジェクト |
八代市(やつしろし)は、熊本県中央部の南側寄りに位置する市。熊本県第2の人口を擁する。
「やつしろ」の文献上の初見は『日本書紀』で、『肥後国志』は里俗の説として上古は神所で故に「社(ヤシロ)」といい、後に八代(ヤツシロ)となったとしている[1]。八代およびその周辺の人は「八代」を「やっちろ」と呼ぶことが多い。
市の中央部を貫流する球磨川からの排出土砂と、干満差の大きい不知火海の自然作用は干拓事業を可能にし、江戸時代の藩政時代からの新地は約4,000haに及ぶ[1]。八代平野は肥後米や畳表の原料となるいぐさなどの一大生産地となっている[1]。いぐさの生産は日本一で、国産の約8割を占める。ただし、安い中国産に押され、作付面積が最盛期の3分の1と急激に減少している。そのため食べられるお箸 や、畳作り体験とい草食品の展開 など、畳以外の形でい草をPRするようになった。また、国内最大の柑橘類・晩白柚(ばんぺいゆ)も特産品で日本一の生産量を誇る。トマトの一大産地としても知られる。
明治時代になり八代港が近代的な港湾として整備され、1890年(明治23年)に九州第1号のセメント工場ができたのを皮切りに、以後製紙工場(九州製紙、現日本製紙)、日曹人絹パルプ(現興人)、昭和酒造(現メルシャン)と相次いで進出し、工業都市へと発展した(八代臨海工業地域)。
毎年11月に行われる八代神社の「妙見祭」は、長崎くんち・博多祇園山笠[2] と並ぶ九州三大祭。御輿、獅子舞、神馬、花馬、傘鉾、亀蛇(がめ)などが居並ぶ行列は1kmに及ぶ。秋には毎年数十万人の観光客が集まる「やつしろ全国花火競技大会」が行なわれる。
八代平野の南端にある日奈久温泉は、合計16の泉源が集中しており、湧出量は毎時140トン、ほとんどの旅館がかけ流しである。江戸時代に熊本藩の藩営温泉場として栄えた。のんびりとした風情で、薩摩街道筋を中心に明治・大正・昭和の町の区割りがそのまま残っている。日奈久の名産として、細川氏の御用窯だった高田焼(こうだやき)や竹細工、ちくわが知られる街でもある。
2004年、日本で最初の地域SNSである ごろっとやっちろ を開設した。そのシステムを動かしているopen-gorottoは、八代市職員の小林隆生が一人で開発したものでオープンソース化され、総務省はこれをベースにしたシステムを導入した地域SNS計画を進めている。
西部は不知火海(八代海)に面した平野部で、その大半は江戸時代以降数次にわたる干拓によって広がったものである。東部から南部にかけては九州山地の深い山間部で、合併によって市域は平家落人の里として知られる五家荘まで及び宮崎県と境を接する。
八代(1991年 - 2020年)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 23.7 (74.7) |
25.2 (77.4) |
27.6 (81.7) |
30.2 (86.4) |
32.9 (91.2) |
37.0 (98.6) |
37.9 (100.2) |
37.7 (99.9) |
36.8 (98.2) |
33.4 (92.1) |
29.5 (85.1) |
24.8 (76.6) |
37.9 (100.2) |
平均最高気温 °C (°F) | 10.9 (51.6) |
12.4 (54.3) |
15.9 (60.6) |
21.0 (69.8) |
25.4 (77.7) |
27.6 (81.7) |
31.5 (88.7) |
32.8 (91) |
29.6 (85.3) |
24.6 (76.3) |
18.8 (65.8) |
13.2 (55.8) |
22.0 (71.6) |
日平均気温 °C (°F) | 6.4 (43.5) |
7.6 (45.7) |
10.8 (51.4) |
15.5 (59.9) |
19.9 (67.8) |
23.2 (73.8) |
27.1 (80.8) |
27.8 (82) |
24.5 (76.1) |
19.2 (66.6) |
13.7 (56.7) |
8.5 (47.3) |
17.0 (62.6) |
平均最低気温 °C (°F) | 2.1 (35.8) |
2.9 (37.2) |
5.8 (42.4) |
10.3 (50.5) |
15.0 (59) |
19.7 (67.5) |
23.7 (74.7) |
24.1 (75.4) |
20.6 (69.1) |
14.5 (58.1) |
9.0 (48.2) |
4.0 (39.2) |
12.7 (54.9) |
最低気温記録 °C (°F) | −7.3 (18.9) |
−5.5 (22.1) |
−1.9 (28.6) |
−0.1 (31.8) |
6.7 (44.1) |
10.5 (50.9) |
17.8 (64) |
18.1 (64.6) |
9.3 (48.7) |
3.7 (38.7) |
−0.4 (31.3) |
−3.6 (25.5) |
−7.3 (18.9) |
降水量 mm (inch) | 69.9 (2.752) |
90.6 (3.567) |
118.3 (4.657) |
133.1 (5.24) |
165.8 (6.528) |
426.2 (16.78) |
386.7 (15.224) |
203.7 (8.02) |
196.8 (7.748) |
101.1 (3.98) |
93.2 (3.669) |
73.2 (2.882) |
2,033.4 (80.055) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 8.3 | 9.1 | 11.3 | 10.4 | 10.0 | 15.4 | 13.0 | 11.2 | 10.3 | 7.4 | 8.5 | 8.6 | 122.6 |
平均月間日照時間 | 118.8 | 131.4 | 160.8 | 179.9 | 187.7 | 121.5 | 187.8 | 209.8 | 169.9 | 177.1 | 143.7 | 131.1 | 1,922 |
出典1:Japan Meteorological Agency | |||||||||||||
出典2:気象庁[3] |
八代市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 八代市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 八代市
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
八代市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
肥後国誌には「八代」の地名の由来は社(やしろ)で、天照皇太神の山陵が上古にこの地に在ったので「やしろ」と言われるようになったと記されており、九州王朝説では倭姫命が定めた伊勢神宮のあった伊勢の有力候補地とされる。(参照→九州王朝)
景行天皇十八年(88年?)が九州を巡幸した折、休息されたとされる芦北の小島は八代市の球磨川河口にある水島である。
6世紀には、百済に仕え二位達率と極めて高い官位を与えられた後に朝廷に招かれた日羅大師の父阿利斯登を輩出した。
推古天皇十七年(609年?)には百済の道欣恵弥ら僧11人と俗人75人が芦北の津(八代)に入港した。
古来より八代の港の徳渕津は博多、坊津と並ぶ九州の対外貿易港で、みかんが中国南部より伝来した地であるとされる。平安時代末期には日宋貿易を重視した平清盛の所領であり、鎌倉時代になると執権北条氏の所領となった。
室町時代初めの1334年に建武の新政時の功績により伯耆国で海運業を営んでいた名和長年の子、名和義高が八代荘地頭職を賜り、古麓城と城下町を築いた。
名和氏は、隣の球磨郡の領主・相良氏と室町時代を通じてたびたび争ったが、1504年、相良氏が名和氏を追い八代に進出。相良氏は本拠を古麓に移し、徳淵津(徳渕津)が中国との貿易港として大いに栄えた。しかし、1582年には相良氏は南の薩摩・大隅から勢力を伸ばしてきた島津氏に服属し、八代から退いた。
その後の1587年には島津氏も豊臣秀吉の天下統一の過程で行われた九州征伐で八代を追われた。当時の八代の人口は五万を数え肥後国の中で最も栄えていると記録されており、秀吉は隈本城や古麓城など肥後を佐々成政に与えたが徳渕津は豊臣家の直轄領とし番大将として寺西次郎介が入った。
肥後国人一揆で佐々成政が滅亡した後、肥後国南部の領主となった小西行長は、古麓城を廃城とし新たに八代支配の拠点として1588年に 麦島城を築いた。関ヶ原の戦いの後、熊本城主・加藤清正が肥後一国の領主となり、1612年(慶長17年)、城代として加藤正方が麦島城に入った。
1615年(元和2年)に一国一城令が出されたが、麦島城は一国一城令の例外として残り、肥後国は熊本城と麦島城の一国二城体制となった
1619年(元和5年)、麦島城は大地震によって崩壊したが、幕府の許可により松江城(八代城)が新たに築かれた。築城当時は、南北811メートル、東西1477メートルの大規模な城で、現在は本丸の石垣と堀が残っている。幕府が一国一城令の例外として築城を認めたのは、島津氏に対する備えのためといわれる。
1632年(寛永9年)、加藤氏の改易により、細川忠利が肥後の領主となると、その父・細川忠興(三斎)が隠居所として松江城に入城。1645年に三斎が亡くなると、筆頭家老の松井興長が入城した。以後幕末まで松井家3万石の城下町として栄えた。
1688年(元禄元年)に城主松井直之が築いた御茶屋「松浜軒(しょうひんけん)」が今に残り、国の名勝に指定されている。ハナショウブなど四季折々の花が美しい庭園を備え、園内の松井文庫の資料館には松井家の家宝が展示されている。
1821年(文政5年)には、江戸時代の肥後国最大の干拓事業である七百町新地(鏡町)の干拓が行われ、米2,400石、塩1,600石の増収となった。
1896年(明治29年)11月21日、九州鉄道が開通。八代駅が開業。
1907年(明治40年)、八代連隊区が設置される。1925年(大正14年)に廃止。
2004年(平成16年)3月13日、九州新幹線が部分開通。新八代駅開業。
2020年(令和2年)7月6日、令和2年7月豪雨により球磨川、大鞘川、二見川が氾濫[4]。
2023年(令和5年)2月8日、2日間にわたり市内北部(千丁、鏡、東陽、泉地区)で大規模な断水が発生[5]。
やつしろし 八代市 | |||
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廃止日 | 2005年(平成17年)8月1日 | ||
廃止理由 |
新設合併 八代市(旧)、八代郡鏡町、千丁町、泉村、坂本村、東陽村 →八代市(新) | ||
現在の自治体 | 八代市(新) | ||
廃止時点のデータ | |||
国 | 日本 | ||
地方 | 九州地方 | ||
都道府県 | 熊本県 | ||
隣接自治体 | 八代郡鏡町、千丁町、坂本村、東陽村、宮原町、葦北郡芦北町 | ||
八代市役所 | |||
所在地 | 熊本県 | ||
ウィキプロジェクト |
2005年の農業産出額は302億円[要出典]。主な農産物は、米、いぐさ、トマト、メロン、キャベツなど。
2005年の製造品出荷額は2,103億円[要出典]。うち、パルプ・紙が531億円で最も多い[要出典]。
(任期4年。+印は在職中死去)
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 生没年 | 備考 |
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木村征男 | 2005年8月1日 | 2005年9月4日 | 市長職務執行者、旧坂本村村長 | ||
初代 | 坂田孝志 | 2005年9月4日 | 2009年9月3日 | 1957年- | |
2代目 | 福島和敏 | 2009年9月4日 | 2013年9月3日 | ||
3代目 | 中村博生 | 2013年9月4日 | 現職 |
2005年8月1日の新市発足に伴う八代市長選挙
候補者名 | 当落 | 政党 | 推薦党 | 得票 |
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坂田孝志 | 当選 | 無所属新人 | 自民 | 39,021 |
中島隆利 | 落選 | 無所属新人 | 民主・社民 | 31,271 |
永江明久 | 落選 | 無所属新人 | 11,513 | |
荒木隆夫 | 落選 | 無所属新人 | 6,846 |
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 生没年 | 備考 |
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初代-3 | 坂田道男 | 1940年9月1日 | 1946年11月 | 1887年-1973年 | 市制施行臨時代理 |
4 | 森下次雄 | 1946年12月 | 1947年4月4日 | 臨時代行 | |
5 | 坂田昌亮 | 1947年4月5日 | 1951年4月4日 | 1890年-1960年 | 公選初代 |
6 | 古閑清紀 | 1951年4月23日 | 1955年4月30日 | -1981年 | |
7-8 | 坂田道男 | 1955年5月1日 | 1963年4月30日 | 1887年-1973年 | |
9 | 松岡明 | 1963年5月1日 | 1967年4月30日 | -1985年 | |
10-14 | 岩尾豊 | 1967年5月1日 | 1986年2月27日 | 1917年-1988年 | 中途退職 |
15 | 木村健一 | 1986年4月13日 | 1990年4月12日 | 1937年- | |
16-18 | 沖田嘉典 | 1990年4月13日 | 2002年3月1日 | 1928年- | 中途退職 |
19 | 中島隆利 | 2002年4月7日 | 2005年7月31日 | 1943年- |
(本庁)
(支所)
会派名 | 議席数 | 代表者 |
---|---|---|
自由民主党 | 14 | |
改革クラブ | 5 | |
新生会 | 3 | |
連合市民クラブ | 3 | |
公明党 | 2 | |
やつしろ無所属の会 | 1 | |
無所属 | 1 | |
光友会 | 1 | |
日本共産党 | 1 | |
新風 | 1 |
太字の小学校は標準服がある。
詳細については八代市の地名を参照のこと。
2004年3月13日、JR九州の営業する九州新幹線の部分開業により、新八代駅 - 鹿児島中央駅間を運転開始した。しかし、新八代駅とその周辺は遺跡の中に立地しているために周辺の整備は遅れていて、2004年3月4日の八代市による5か年計画では周辺道路と公園の整備のみと頼りなく、現状では民間企業の参入に委ねている状態で、一日も早い本格的な周辺整備が望まれている。2011年3月11日に博多駅から当駅まで開通し、九州新幹線は全通した。
最寄りの空港は熊本空港。
市の代表となる駅:八代駅、新八代駅
以下の路線が運行している。中心市街地内に発着するのは阿蘇くまもと空港連絡バス「すーぱーばんぺいゆ」のみで、他は都市間高速バスが八代インターチェンジに併設されたバス停に立ち寄る、もしくは新八代駅で九州新幹線に接続して運行する形態となっている(八代インターチェンジ・新八代駅ともに中心市街地から東に遠く離れた場所に位置する)。
太字は八代市内の停車地・経由地。すべて昼行便。
愛称名 | 運行会社 | 運行区間 |
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フェニックス号 | 九州産交バス 西日本鉄道 宮崎交通 JR九州バス |
福岡市・高速基山 - 八代IC - 人吉市 - えびの市・小林市・都城市・宮崎市 |
B&Sみやざき号 | 九州産交バス 宮崎交通 JR九州バス |
新八代駅 - 人吉市 - えびの市・小林市・都城市・宮崎市 |
みとシティライナー | 美登観光バス | 新八代駅 - 小林市・都城市・宮崎市・高鍋町・西都市 |
きりしま号 | 九州産交バス 鹿児島交通 南国交通 |
熊本市・益城町 - 八代IC - 鹿児島空港・姶良市・鹿児島市 |
すーぱーばんぺいゆ | 神園交通 | 八代港 - 八代市内各ホテル - 八代駅 - 新八代駅 - 阿蘇くまもと空港・熊本県運転免許センター |
グルメ、イベント情報のほか、番組情報を掲載。