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なかやま しょうじ 中山 昭二 | |
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本名 | 中山 昭治(なかやま しょうじ) |
生年月日 | 1928年2月26日 |
没年月日 | 1998年12月1日(70歳没) |
出生地 | 日本・東京市本郷区湯島天神 |
身長 | 172 cm |
職業 | 俳優 |
ジャンル | 映画、テレビ映画、舞台 |
活動期間 | 1952年 - 1997年 |
活動内容 |
1952年:『アナタハン』出演 1953年:新東宝入社、デビュー 1959年:東映東京撮影所に移籍 |
主な作品 | |
映画 『憲兵』『明治天皇と日露大戦争』 『警視庁物語 十二人の刑事』 『あしたのジョー』『惑星大戦争』 テレビドラマ 『ヘッドライト』『青年弁護士』 『特別機動捜査隊』『ウルトラセブン』 『流星人間ゾーン』『風雲! 江戸の夜明け』 |
中山 昭二(なかやま しょうじ、1928年2月26日[1] - 1998年12月1日[1])は、日本の俳優。本名:中山 昭治。元妻は女優の横山道代。
身長172cm、体重72kg[2]。趣味は読書、熱帯魚の飼育、ランの栽培、釣り、日本舞踊、モダンダンス。
1928年2月26日、東京市本郷区湯島天神に酒屋の三男として生まれる。
本郷第一国民学校在学中に横須賀海兵団の第一期少年水測兵に任命される。中山本人によれば「小笠原諸島に派遣され、当地で任務に当たっていた」とのことで、小笠原諸島では食糧を現地で調達せざるを得ず、魚介類の捕獲を担当していたことがきっかけで後年の趣味となった釣りを覚えることになったという[3]
終戦後はバレエダンサーとして幾多の舞踊団に在籍。1952年、越路吹雪の相手役として舞台に出演したところを、日米合作映画『アナタハン』の撮影で来日していたジョセフ・フォン・スタンバーグ監督にスカウトされ、同作品への出演を期に映画界へ転身する。ちなみにこの作品には撮影スタッフとして円谷英二も参加しており、はからずも両者は運命的な出会いを果たすことになった。
『アナタハン』出演後は新東宝に入社し、1953年に映画『憲兵』で主役デビュー。その甘いマスクで一躍新東宝を代表するスターとなる。1959年、東映東京に移籍。ニュー東映製作の現代劇作品から全盛期の任侠映画まで、幅広く重要な役柄を演じたが、新東宝時代のように主役を務める機会には恵まれなかった。この時期、ハワイで活動中の女優 / 歌手、古城あけみ(本名:西室美恵子)と婚約していたが、後に古城が一般人と結婚することで破局を迎える。
その一方、東映進出と並行して出演するようになったテレビ作品では、NTVのサスペンスドラマ『ヘッドライト』『青年弁護士』に主演。続いて『特別機動捜査隊』『ウルトラセブン』とレギュラー出演を重ね、いずれもメンバーをまとめる司令塔的な役回りであった。
『ウルトラセブン』撮影当時は「子供番組(に出る)なんて恥ずかしい」と思っていたが、後年アンヌ隊員役のひし美ゆり子の出版パーティーにて「なんだかんだ言っても、俺の代表作はセブンなんだよな…」と語っていたことを、ひし美本人が証言している[4]。
1970年代以降は脇に回るようになり、ジャンルを問わずさまざまな作品で渋い個性を発揮。中でも時代劇への出演は数知れず、悪家老などの黒幕的な敵役として、馴染みのある存在だった。
晩年は日光江戸村の芸能師範(専務取締役)として後進の育成にあたっていたため、テレビの出演から遠ざかっていたが、日本テレビの『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』の1コーナー「志の輔のクイズを探せ!」で、同村の案内役として、浪人の装いでVTR出演。リポーターとして訪れた立川志の輔に、「あっ、ウルトラセブンのキリヤマ隊長でしょ?」とツッコまれた中山は、当時キリヤマ隊長の名ゼリフだった「なにっ!?」と返したことがある。
1998年に肺炎で他界。70歳没。
なお、逝去の直前に『ウルトラセブン1999最終章6部作』への出演オファーが来ており、本人も快諾していたがその死により出演は叶わなかった[5]。