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上杉顕実
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 永正12年(1515年)?
改名 足利義綱(初名)→上杉顕実
別名 通称:四郎
官位 民部大輔
幕府 室町幕府 関東管領
氏族 足利氏山内上杉氏
父母 父:足利成氏、母:簗田直助娘・伝心院
養父:上杉顕定
兄弟 足利政氏[1]顕実
養兄弟:高山重純正室上条定憲?、憲房
宇都宮成綱側室
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上杉 顕実(うえすぎ あきざね)は、戦国時代武将関東管領山内上杉家12代当主。

略歴

古河公方足利成氏の次男として誕生した。当初は義綱と名乗るが、後に関東管領・上杉顕定の養子となり、上杉顕実と改名した。

永正7年(1510年)、長森原の戦いで顕定が敗死すると、顕実が山内上杉家を継ぎ関東管領を継承するが、同じ顕定の養子・憲房と対立する。顕実は実兄で古河公方の足利政氏に援助を求めるが、憲房は政氏の子・高基を味方につけ対抗し、関東は二分された。顕実は長尾顕方成田顕泰の支援を受けて武蔵国鉢形城に拠ったが、永正9年(1512年)に憲房を支持する横瀬景繁長尾景長に攻められて敗北、実権を喪失する(永正の乱)。

顕実は政氏を頼って逃亡するが、まもなく病没した。

脚注

  1. ^ 父とも。