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シカゴ・ハウス(Chicago house)はハウス音楽の初期のスタイルで、その名が語るとおりアメリカ合衆国のシカゴで誕生した音楽である。
歴史と概要
ニューヨーク出身のDJのフランキー・ナックルズが1977年にオープンしたシカゴのウェアハウス(Ware house)(この「ウェアハウス」という名前が「ハウス」音楽の名前の語源である)と呼ばれる黒人のゲイ向けのクラブにおいて掛けていた音楽である。ニューヨークのディスコの影響を受けつつも、ポップさが減る、4つ打ちの激しく機械的なビートが強調される、ベース音はよりディープになる、流麗なオーケストラの代わりにシンセサイザーが多用される、ヴォーカルは存在しないかあってもディスコのように歌姫が叙情的に歌い上げるようなものではなくより呪術的でかつ無機質なものになる、などの特徴がある。フランキー・ナックルズは後にオーナーとの確執から独立、パワープラントを立ち上げる。ウェアハウスは名前をミュージックボックスと変えロン・ハーディーを迎え入れ営業を開始し、両名は二つのクラブでシカゴのクラブキッズを奪い合うように、次々と名曲や新しい楽曲、DJテクニックを披露しシカゴのハウスシーンを盛り上げた。
こうした音楽の制作に大きく寄与したのが、当時格安で出回っていたシーケンサーやシンセベースローランド・TB-303やドラムマシンローランド・TR-909である。これにより、オーケストラやプロのセッション・ミュージシャンを必要としたディスコなどと異なり、アイディアさえあれば貧乏な素人でもハウスの曲を制作する事ができた。また、このベースシンセサイザーのローランド・TB-303のセッティングを極端にいじることで演奏できるウニョニョとしたドラッグ体験を思わせる奇妙な機械音は、多くのシカゴ・ハウスの楽曲に使われ、これは後にアシッド・ハウスと呼ばれる音楽へと変化していく。こうした音楽を多数リリースしたシカゴ・ハウスを代表するレーベルにTrax Recordsなどがある。
シカゴ・ハウスやアシッド・ハウスはその後、イギリスで起こったセカンド・サマー・オブ・ラブ運動とレイブのブームにより世界中で爆発的な人気を得る。だがその海外での人気とは裏腹に地元のシカゴではやがてハウス音楽のシーンは寂びれ、多くのDJやプロデューサーはその音楽制作の収入や活動の主な舞台をヨーロッパに頼らざるをえなくなる。この状況は現在に至るまで続き、その後の90年代になってからシカゴから登場したグリーン・ベルベットやその他のアーティストも、地元のシーンを盛り上げるには至らず、その主戦場をニューヨークやサンフランシスコ、ヨーロッパや日本へと移すこととなる。
また、このシカゴハウスの黒人音楽をベースとしつつも、大きく人工的な機械音とシーケンサーを導入したスタイルは、その隣接都市圏であるデトロイトの黒人ミュージシャンたちに大きな影響を与え、彼らはこうしたシカゴハウスをさらに発展させつつ独自のものとした、まったく新しい音楽、後にデトロイト・テクノと呼ばれることになる音楽を生み出すことになる。
主なアーティスト
- アドニス
- グリーン・ベルベット(Curtis Jones / Cajmere)
- デリック・カーター
- DJ スニーク
- フランキー・ナックルズ
- ラリー・ハード
- マーシャル・ジェファーソン
- DJ ラッシュ