ビクターエンタテインメント株式会社 (英語 : Victor Entertainment, Inc. )は、音楽ソフト発売・販売業務を行う日本 企業 であり、JVCケンウッド の完全子会社でもある。
1972年 4月24日 まで日本ビクター (現・JVCケンウッド)の音楽レコード事業部 、2011年 9月30日 までは日本ビクターの機能子会社 であった。
旧社名は1972年4月25日 から1993年 3月31日 まではビクター音楽産業株式会社 (ビクターおんがくさんぎょう、略称 :ビクター音産)、1993年 4月1日 から2014年 3月31日まではビクターエンタテインメント株式会社 (初代)。2014年 4月1日に株式会社JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント (JVCKENWOOD Victor Entertainment Corp.)に商号変更したが、2024年 4月1日にビクターエンタテインメント株式会社 (二代目)に商号を戻した。
渋谷区神宮前にある「ビクタースタジオ」(2017年 6月9日 撮影)
概要
日本ビクター が1927年 より展開していたレコード盤 (メディア)製造部門を除くレコード 音源制作・販売事業、および出版 事業(ビクター出版 株式会社)を含め、1972年4月25日に分社化しビクター音楽産業 株式会社として設立。日本コロムビア やユニバーサル ミュージック ジャパン に次ぐ歴史を有する日本のレコード会社 であり、多種多様なアーティストが所属する。
1993年4月に分社化していた販売部門(日本エイ・ブイ・シー株式会社)を吸収合併しビクターエンタテインメント 株式会社へ社名変更。2014年4月1日に親会社名に揃えた現社名へ変更。メディア製造部門は2007年に日本ビクターからビクタークリエイティブメディア(現:JVCケンウッド・クリエイティブメディア)株式会社へ分社化した。
1983年にゲームソフト (パソコンゲーム ・テレビゲーム )事業に参入したが、1996年 に日本ビクター子会社のパック・イン・ビデオ へ統合されビクターインタラクティブソフトウェア (VIS) へ社名変更された。VISは2003年に同業のマーベラス へ売却され、2007年6月にマーベラスへ吸収合併されている。
1989年に「ビクターブックス(VICTOR BOOKS)」の名称で書籍事業を立ち上げ、音楽・映画関係の単行本・グラビア 写真集 とスポーツ雑誌 「ワールドサッカーグラフィック (WSG)」などを細々と刊行したが、2003年 にぴあ 株式会社へ事業譲渡。WSGは2008年に休刊となったが、2011年にぴあ本社が入居する渋谷ファーストタワーに本社事業所を移転、現在も入居している。
映像部門
1970年代よりタツノコプロ ・学研 ・サンライズ ・葦プロダクション などが制作するアニメソング を数多く担当しており、1984年 にレコード会社が初めて製作したOVA 「BIRTH 」とピンク・レディー などのミュージックビデオ によってビデオ制作事業に本格参入した。
1999年 からはそれまでの日本ビクターに代わる形でテレビアニメ 番組への製作出資にも進出した(ソフト企業としてバンダイビジュアル ・日本コロムビア (ANIMEX )・パイオニアLDC ・ポニーキャニオン などに追従)。2007年 にアニメの企画・発売事業はJVCエンタテインメント を経てフライングドッグ へ承継した。
1983年 からVHD カラオケ ディスクの展開を2003年まで続け、その後継としてDVDカラオケソフトを発売したが、2009年以降新譜の発表がない。
アニメを除く映画やテレビ番組など版権物のビデオソフト事業は元来日本ビクター本体に留まっており、日本ビクターもしくは合弁会社の「パック・イン・ビデオ 」や「CIC・ビクター ビデオ 」を通じて展開されていた。1984年より当社においても他社が発売元となるソフトの受託販売も行っているが、2005年頃より韓流ドラマ を中心とした海外ドラマ ジャンルに絞られている。
「パック・イン・ビデオ」の映像事業は1994年、ビクター エンタテインメントに譲渡、ゲーム事業に専念。後に前述通り、ビクターインタラクティブソフトウェアに社名変更した。
テイチクとの合併構想
1990年代 前半に、ビクター音楽産業とテイチク(現・テイチクエンタテインメント )を合併して『パナソニックレコード(Panasonic Records)』を作る構想が浮上した。
日本ビクターとテイチクの親会社であった松下電器産業(現・パナソニックホールディングス )は、当時MCA を傘下に収めており、それらを統合することで、国内最大の総合ソフトエンタテインメント会社の設立を目指していた。その一端として、1991年にMCAビクター (後に「ユニバーサルビクター 」と改称)をビクター音産の傘下に設立し、国内最大の総合エンタテインメント会社への布石を打った。1989年にコロムビア映画 や米国コロムビア・レコード を買収したソニー に対抗しようと画策したものであった。また、テイチク傘下にも「エムシーエー・パナソニック・ミュージック株式会社」を設立していた。
しかし、ビクター・テイチク合併構想は結局頓挫し、1995年にパナソニックはMCA株の大半をシーグラム へ売却。2000年にシーグラムが買収したポリグラム (ポリドール 、MME )が社名変更したユニバーサルミュージック 側に吸収され消滅した。その経緯において、2003年まではビクターがユニバーサルの販売を受託していた。
キラーコンテンツが不在のテイチクは経営不振に陥り、1999年に松下から日本ビクターに持株を譲渡されたことで当社専務の飯田久彦 を社長に送り込み、社名変更や事業の縮小、社内カンパニー のインペリアルレコード の設立など経営改革を図った。当社とテイチクは15年余り兄弟会社となっており買収の標的とされていたが、2015年 4月にエクシング がテイチクを買収(ブラザー工業 グループ入り)したことで関係がなくなったものの、パッケージメディアの製造や販売等の流通委託に関してはこれまで通り継続されている。
沿革
1927年 (昭和2年)9月13日 - 米国 ビクター社(ビクタートーキングマシン )の日本法人として、日本ビクター蓄音器株式会社 (にほんビクターちくおんき)を設立する。
1929年 (昭和4年) - 親会社のアメリカビクター社がRCA に吸収合併された事に伴い、東芝 ・三井財閥 の出資を受ける様になる。
1938年 (昭和13年) - 満州事変 に伴い日米関係が悪化する。アメリカRCA社は資本提携を解消し、株式を日産コンツェルン に譲渡する。直後に日産コンツェルンのグループ会社だった日産自動車 が東京芝浦電気 に株式を売却し、東芝傘下に入る。
1943年 (昭和18年) - 開戦に伴い、陸軍省 の指導(敵性用語 の排除の指導)を受け、社名を日本音響株式会社 (にほんおんきょう)に変更する。レーベル名は英語 の『VICTOR』のままだったが、ニッパー の下に書いてあった"His Master's Voice"の文言を消すなどしている。
1945年 (昭和20年)10月 - 敗戦 を機に、社名を日本音響から日本ビクター株式会社 に変更する。
1957年 (昭和32年) - 日本ビクターが傘下の「ビクターレコード株式会社」が制作したRCAビクター (後の米国ソニー・ミュージックエンタテインメント )以外のレーベル原盤の洋楽の配給を始める。(後のワールドグループ販売事業部)
1970年 (昭和45年) - フィリップスレーベル部門 (邦楽、洋楽)が日本フォノグラム株式会社 (後のマーキュリーミュージックエンタテインメント [ 注釈 1] )として分離・独立する。
1972年 (昭和47年)4月25日 - 日本ビクターの音楽ソフト部門のうち、製造部門を除く制作・営業・宣伝、および出版事業などの部門を「ビクター音楽産業株式会社 」(英文社名:Victor Musical Industries, Inc.)として分離・独立する[ 注釈 2] 。
1975年 (昭和50年)9月21日 - RCAレーベル部門 (邦楽、洋楽)がRVC株式会社 [ 注釈 3] として分離・独立。
1977年 (昭和52年)9月25日 - 同年1月1日 に日本ビクターがロゴマークを変更したことに合わせ、「VICTOR 」から「Victor 」へデザインを順次変更(邦楽のシングル品番がSV-6279[ 注釈 4] 、および洋楽のシングル品番がVIP-2557[ 注釈 5] 、童謡・アニメソング等の子供向けシングル品番がKV-62[ 注釈 6] 以降、アルバム品番がSJX-20015[ 注釈 7] 以降)。これに伴い、洋楽部門のワールドグループ販売事業部(別称:ビクター・ワールドグループ )を統合。
1984年 (昭和59年) - 営業部門のうち、日本ビクターの市販市販を日本エイ・ブイ・シー株式会社(AVC)として分社化する。
1990年 (平成2年)
5月21日 - 子会社の株式会社メイジャーズを通し、レーザーディスク ソフトの販売を発売(初リリースソフトは「メガゾーン23 III イヴの目覚め」(MAJ-1)「メガゾーン23III 開放の日」(MAJ-2)の2タイトル同時発売)。親会社の日本ビクターがレーザーディスクのライバルであるVHDビデオディスク の盟主であったため、当社もレーザーディスクソフトを発売することが出来なかった。
11月21日 - 子会社のメイジャーズを通すことなく、当社がレーザーディスクソフトを発売。初リリースソフトは「ロードス島戦記 1」(VILF-1)。
1993年 (平成5年)4月1日 - 日本エイ・ブイ・シーを合併、社名をビクターエンタテインメント株式会社 (初代法人)に変更する。
1999年 (平成11年)10月1日 - 本社を渋谷区 神宮前から港区 北青山に移転する。
2003年 (平成15年) - VHDビデオディスクの製造・販売事業から撤退。
2007年 (平成19年) - ビクターエンタテインメントのアニメ関連事業(Victor Animation[ 注釈 8] とm-serve [ 注釈 9] の両ブランド)を新設子会社のJVCエンタテインメント (JVC Ent.)へ移管する。同時に、ビクターアニメーションとビクターエムサーブの両レーベルを統合[ 注釈 10] 、新たに“FlyingDog ” として再出発する。
2009年 (平成21年)
1月1日 - JVCエンタテインメントと事業を統合・再編する。JVCエンタテインメントの間接部門をビクターエンタテインメントに統合し、音楽事業をビクターエンタテインメントが、アニメ音楽・映像事業をJVCエンタテインメントが社名変更するフライングドッグ がそれぞれ受け持ち、両社にあるネットワーク・配信事業を統合しJVCネットワークスを新設する。また、JVCエンタテインメントのアーティスト・マネジメント事業をビクター・ミュージックパブリッシングに統合する。タレントマネジメント、キャスティング、広告代理事業を新設のJVCエンタテインメントが受け持っている。
11月 - 一部新聞紙で「ビクターエンタテインメントなどの日本ビクターの音楽部門をコナミ に売却する方向で調整している[ 2] 」と報道される。JVC・ケンウッド・ホールディングスはニュースリリースで即座に否定。最終的にコナミとの交渉は同月下旬に打ち切られたと報道された[ 3] 。
2010年 (平成22年)
4月6日 - 一部新聞紙で「ソフトバンク がビクター エンタテインメントに出資し、将来的には過半数の株式を取得して子会社化する方針である[ 4] 」と報じられる。JVC・ケンウッド・ホールディングスはニュースリリースで即座に否定した[ 5] 。
4月16日 - 一部報道機関で「ソフトバンクが5月を目処にビクター エンタテインメントの過半数の株式を取得し子会社化、年内に残りの株式も取得し完全子会社化することで大筋合意した[ 6] 」と再び報じられた。ソフトバンク、JVC・ケンウッド・ホールディングス共にニュースリリースで否定[ 7] [ 8] 。最終的に4月29日、昨年のコナミ同様交渉が打ち切られたと報じられた[ 9] 。
2011年 (平成23年)10月1日 - JVCケンウッドが傘下の事業会社であった日本ビクターを合併した事に伴い、同社が親会社となった。
2012年 (平成24年)7月1日 - 企業ロゴマークを一新。ただし旧・日本ビクター時代のシンボルマーク、「ニッパー」(His Master's Voice)は継承されている。
2014年 (平成26年)4月1日 - 社名を株式会社JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント に変更。
2015年 (平成27年)6月10日 - デジタル部門が新レーベル「AndRec」(アンドレック)を設立し、第1弾アーティストとして丸本莉子 を国内初のハイレゾ 配信 でデビューさせた[ 10] 。
2019年 (令和元年)6月 - 社内カンパニー 兼ゲームレーベルビクターエンタテインメント・ゲームズ を設立。第1弾プロジェクトとして『THE KING OF FIGHTERS for GIRLS 』の始動を発表した[ 11] 。
2023年 (令和5年)10月1日 - 当社が出資・協力、タイシタレーベルミュージック、アミューズ が運営に携わり、アミューズ社長の中西正樹 が代表取締役社長を務めるコミュニティFM局 「茅ヶ崎エフエム 」(神奈川県 茅ヶ崎市 )が開局[ 12] [ 13] [ 14] [ 15] 。
2024年 (令和6年)4月1日 - 「ビクター」ブランドの更なる訴求 を目的として10年ぶりに商号をビクターエンタテインメント株式会社 (二代目法人)に戻した[ 16] 。
関連会社・団体
過去の関連会社
主要レーベル
かつて存在したレーベル
GAM(ガム) - 1970年代前半に存在していたアイドル専門レーベル。尤も、麻丘めぐみ の2ndシングルまでの作品は当レーベルからリリースされた。
CJビクターエンタテインメント - 韓国のCJ E&M との合弁
FlyingStar Records (フライングスター・レコーズ)
HEARST RECORDS - 本来は映画『カノジョは嘘を愛しすぎてる 』の劇中レーベルだが、実際に世に放たれた関連作品全てもこのレーベル名で発売された。
HiHiRecords[ 25] (ハイハイレコード)- 幼児および子供向けレーベル
KENWOOD RECORDS
m-serve
VERSIONMUSIC(バージョンミュージック)- ガールズポップ/アイドル専門レーベル[ 26]
XEO Invitation(ゼオインヴィテーション)
木馬座レコード - 劇団木馬座 関連レーベル。ケロヨン 関連の作品もここから出されていた。
Q2 Records(キューツーレコーズ)- 音楽ライターの三宅正一主宰のレーベル[ 27] 。踊Foot Works やマテリアルクラブ が所属[ 28] 。
浮雲レーベル - 当社と烏龍舎 との共同プロジェクトでレミオロメンをサポートするために発足したレーベル。
主な所属アーティスト
※五十音順。
あ・か行
さ・た行
な - わ行
FlyingDog(旧「m-serve」)
かつて所属していたアーティスト
あ・か行
さ・た行
な・は行
ま・や・ら・わ行
ビクターレーベル以外の外資系レーベル
RCAレコード(1975年9月20日まで)
その後、RVC、BMGビクター、BMGファンハウス、BMG JAPAN、アリオラジャパンを経て2014年 4月 に発足したソニー・ミュージックエンタテインメント(SMEJ) の完全子会社のソニー・ミュージックレーベルズ に統合され、同社 の社内レーベルとして機能される形で法人そのものが消滅 。資本関係の変化によりソニー・ミュージックグループに原盤権が移動(個人および芸能事務所が所持しているものや、BMG時代に撤退した演歌部門の一部音源など他社に譲渡されたものを除く)。
フィリップス・レコード(1970年5月31日まで)
その後、日本フォノグラム 、マーキュリーミュージックエンタテインメント、キティMMEを経てユニバーサルシグマ(ユニバーサル ミュージック合同会社)に社名を変更。
※日本フォノグラムとして独立後も引き続き在籍。
以上の音源はシンコーミュージック・エンタテイメント が所持しているため、現在はクロニクル から発売中。
ゲーム
ビクターインタラクティブソフトウェア から発売されたゲームはマーベラス発売のゲームタイトル一覧 を参照。
家庭用ゲーム機
1986年
1987年
1988年
1989年
1990年
1991年
1992年
1993年
3月12日 スターウォーズ 帝国の逆襲 (FC)
3月19日 ウルフチャイルド (メガCD)
3月26日 ジャガーXJ220 (メガCD)
4月29日 TVスポーツ アイスホッケー(PCエンジン、HuCARD)
4月29日 TVスポーツ バスケットボール(PCエンジン、HuCARD)
5月28日 シャーロック・ホームズの探偵講座II(PCエンジンCD-ROM2 )
8月27日 雀豪ワールドカップ(メガCD)
9月23日 モンキー・アイランド ユーレイ海賊大騒動! (メガCD)
9月27日 イースIII ワンダラーズフロムイース(FC)
11月19日 ルイン 神の遺産(PCエンジンSUPER CD-ROM2 )
12月17日 メタルファング (MD)
12月29日 とらべらーず 伝説をぶっとばせ(PCエンジンSUPER CD-ROM2 )
1994年
1995年
1996年
1998年
1999年
発売中止
パソコンゲーム
1984年
1985年
1986年
ナイルの涙(MSX-ROM )
ペガサス(MSX-ROM)
ポイントX占領作戦(MSX-ROM)
ミクとしおりのニャンニャンプロレス(MSX-ROM)
モールモール(MSX-ROM)
1987年
敵は海賊・海賊版 (PC-8801)
グイン・サーガ 豹頭の仮面 (PC-8801)
シャウトマッチ(MSX-ROM)
死霊戦線(MSX-ROM)
ドレイナー(MSX-ROM)
ヴィーナスファイヤー(MSX-ROM)
モールモール2(MSX-ROM)
1988年
EDIPAL(MSX-DISK )
雀豪1(MSX-DISK)
死霊戦線2(MSX-DISK)
釣りキチ三平ブルーマリン編(MSX-ROM)
1989年
8月21日やじうまペナントレース(MSX-DISK)
釣りキチ三平釣り仙人編(MSX-ROM)
1990年
7月20日ジャックニクラウスチャンピオンシップゴルフ(MSX-DISK)
湘南伝説(MSX-DISK)
発売年月日不明
キャッスルズ リアルタイム 築城シミュレーション(PC-9801 -5インチソフト )
ストラテゴ(PC-9801-5インチソフト)
やじうまペナントレース1988(PC-8801 SRソフト)
雀豪2 強知能版(PC-9801-5インチソフト)
エアーコンバットII スペシャル(FM TOWNS )
満開電飾(PC-9801 -3.5インチソフト / アダルトゲーム )
O星占術大全 -ゼロスターせんじゅつたいぜん(PC-9801-3.5インチソフト)
クラシックロード1(PC-9801-3.5インチソフト)
やじうまペナントレース2 1991(PC-9801-5インチソフト)
ミュージアム4 サウンド(PC-9801-5インチソフト)
ジャック・ニクラウス チャンピオンシップ・ゴルフ(PC-9801-5インチソフト)
やじうまペナントレース 1990データ(PC-9801-5インチソフト)
満開電飾III(PC-9801-5インチソフト アダルトゲーム)
大遊言(PC-9801-3.5インチソフト/5インチソフト)
やじうまペナントレース 1989データ(PC-9801-5インチソフト)
カンプグルッペ(PC-9801-5インチソフト/オリジナルは、SSI (IBM-PC 版))
やじうまペナントレース2 1991(PC-9801-3.5インチソフト)
スマートフォン用アプリゲーム
ビクターエンタテインメント・ゲームズ よりリリース。
主催ライブ
ビクタージャズ祭り
開催日
タイトル
備考
2018年4月13日〜6月9日
ビクタージャズ祭り COLOURS RELEASE LIVE
詳細
4/13 浜松窓枠
5/07 代官山UNIT
ADAM at
Schroeder-Headz
jizue
5/19 梅田Shangri-La
6/09 名古屋TOKUZO
補足
かつて同社の社長・会長を務め、その後日本レコード協会 の会長も務めた冨塚勇はCCCD 推進派だったが、実際のところ同社では当初からアーティストやレーベルなどによっては採用されていない例も多く(m-serve関係では2枚発売した後は通常のCD形式に戻された)、CCCDを導入していた時期は、スクービードゥー 等のHPの掲示板等でCCCDを肯定する書き込みを自作自演した問題や、TRICERATOPS 等のアルバムが発売直前にCCCD化された問題等、CCCD反対派からのバッシングが強かった。その上、他社のCCCD製品と比べ当該製品がCCCDであるとの表示がわかりにくい(CCCDマークが付いていない・非常に小さい等)ことが多く、これらの問題もあいまって社内ではCCCD推進に否定的な者が少なくないとされる。このためか、2005年に入るとCCCDでのリリースは事実上撤退した。
1980年、子供向けマスコット キャラクター 「パルちゃんとそのなかまたち」を開発。キャラクターデザインはあべまりあ。同社の子供向けレコード・カセットテープでマスコットとして使用された他、キャラクターライセンス 商品も各社から販売された[ 31] 。
以前はサンミュージックプロダクション との結びつきが強かった。森田健作 ・太川陽介 ・桜田淳子 ・リンリン・ランラン ・水谷麻里 ・安達祐実 ・酒井法子 などが所属していた。現在もこれらのアーティストのベスト盤はビクターから発売されている。1999年には、サンミュージックタレントの楽曲(ビクター所属タレント以外の楽曲も含めて)を収録した「サウンド・オブ・サンミュージック 」を発売した。
JVCケンウッド・ビクターエンタテインメントへ一旦商号変更された2014年 4月1日 から2024年 3月31日 までの期間は日本レコード大賞 や日本ゴールドディスク大賞 などに見られる音楽賞 を除く各種メディアでは「法人名 の名称そのものが長すぎる 」という理由で『ビクターエンタテインメント 』と表記されるケースがほとんどであった。
脚注
注釈
^ その後、キティMMEを経てユニバーサル ミュージック合同会社 (ユニバーサルシグマ レーベル)に社名を変更。
^ レコードの生産は親会社の日本ビクターに残された。CD・DVD・BDソフトの生産は、日本ビクター(現・JVCケンウッド・クリエイティブメディア)の林間工場(神奈川県 大和市 )を経て、現在も横須賀事業所(神奈川県横須賀市 )で行われている。
^ この当時はアルファベット が登記 上、使用できなかったため、実際は「アール・ブイ・シー株式会社 」と表記された。その後、BMGビクター、BMGファンハウス、およびBMG JAPAN となるが、2008年、ソニー・ミュージックエンタテンメント の子会社となり、2009年に吸収・解散。国内制作部門は傘下の株式会社アリオラジャパン を経て2014年4月より株式会社ソニー・ミュージックレーベルズ の社内 レーベルとして機能され、洋楽部門(RCA/JIVEグループ)はソニー・ミュージックジャパンインターナショナルへ承継された。
^ 佐良直美 のシングル『私のアンティック 』。ちなみに旧ロゴマークが最後に使われたのは殿さまキングス のシングル『女のまごころ』(SV-6278)であった。
^ スナックスのシングル『ツイスト'77』。ちなみに旧ロゴマークが最後に使われたのは広瀬量平 のシングル『愛のテーマ』(VIP-2545、映画『歌麿 夢と知りせば 』の劇中使用曲)であるが、同楽曲とほぼ同期にリリースされた渡辺貞夫 のシングル『マイ・ディア・ライフ』(VIP-2551)では本来、渡辺のプライベートレーベル「FLYING DISK」が用いられるが、誤って旧ロゴマークがレコードの盤面(レーベル)に貼られていた。
^ 藤田淑子 のシングル『なんじゃらもんじゃら/考えマーチ 』。ちなみに旧ロゴマークが最後に使われたのはザ・バーズ /ジャニーズ少年団 /ミッキー &スティーブ とアサノシ のシングル『ガンバロン'77/友達のガンバロン 』(KV-53)であった。
^ 勝新太郎 のアルバム『座頭市子守唄』。ちなみに旧ロゴマークが最後に使われたのはブロード・サイド のアルバム『バース』(SJX-20014)であった。
^ ビクターアニメーション。アニメ映像レーベル事業。
^ ビクターエムサーブ。アニメ音楽レーベル事業・公式サイトの運営及び管理。
^ なお、「m-serve」は「FlyingDog」統合後も『m-serve style 』の配信を継続していたため、2011年11月まで同レーベルのサブレーベルとして活動していた。
^ なおメンバー小出のプロジェクト・material club の作品は2018年~2019年までは別レーベルQ2 Recordsよりリリースされていた。また、メンバー関根が所属する別バンド・sticoの作品リリース時はレーベル名称"DGP RECORDS"のみ使用し所属事務所ソニー・ミュージックアーティスツ よりリリースされている。
^ リバスター時代の楽曲もビクターが販売権を引き継いだ。ビクター復帰後のベストアルバムでは、リバスター時代の楽曲からは「今夜は離さない 」が収録されることが多い。
^ 日本コロムビアは1962年の英コロムビアとの契約解消後、一部洋楽(米コロムビア)音源に「CBS」レーベルの使用を開始(通称:CBSコロムビア)、それ以降は洋楽部門「CJ」に所属した邦楽ポップス歌手・グループにも1968年8月頃まで「CBS」レーベルを使用していた。
^ 1968年3月11日にCBS・ソニー(当時:CBS・ソニーレコード)の設立直後、米コロムビアと日本コロムビアとの原版契約を盾に、旧CBSコロムビアレーベル所属の邦楽歌手を全てCBS・ソニーに移籍させようとしたが、ジャッキー吉川とブルーコメッツは一旦形式的に移籍した後、結果的に日本コロムビアに復帰している。
^ 横スクロールアクションゲームだが終盤に突然シューティングゲームに変貌。そのままボス戦を終えるとまたアクションゲームへ戻る。迷路のようなダンジョンだがヒントが無いため、事前知識が無いとまずクリアは不可能。さらに、ルートが分かっていてもボスに触れるだけで即死するなどゲーム難易度が高く、敵に攻撃を与えるタイミングもシビアで理不尽な敵の出現も多い。背景がストーリーの進行に応じて昼から夜に変わる他、浮遊する目玉の大群やカタツムリ、様々な巨大昆虫や理不尽に地面から生える蔦や巨木など、奇妙な雰囲気を出すモンスターに溢れており、世界観に関しては凝ったものがある。しかし、バランスが悪く直感ではクリア不能なゲーム性から、メガドライブ作品の中でも屈指の駄作という評価がある。
株式会社QBQ アーカイブ 2016年10月6日 - ウェイバックマシン 編『懐かしのメガドライブ 蘇れメガドライバー !!』マイウェイ出版発行、2018年。ISBN 9784865118704 p106-107
出典
関連項目
外部リンク
Victor Rocks
メジャーレコードレーベル
主要レーベル その他のレーベル 関連項目