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フランクフルト時代の高原 | ||||||
名前 | ||||||
カタカナ | タカハラ ナオヒロ | |||||
ラテン文字 | TAKAHARA Naohiro | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1979年6月4日(45歳) | |||||
出身地 | 静岡県三島市 | |||||
身長 | 181 cm[1] | |||||
体重 | 75 kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1995-1997 | 清水東高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1998-2002 | ジュビロ磐田 | 105 | (58) | |||
2001 | → ボカ・ジュニアーズ (loan) | 6 | (1) | |||
2002-2006 | ハンブルガーSV | 97 | (13) | |||
2006-2008 | フランクフルト | 38 | (12) | |||
2008-2010 | 浦和レッズ | 63 | (10) | |||
2010 | → 水原三星 (loan) | 12 | (4) | |||
2011-2012 | 清水エスパルス | 46 | (9) | |||
2013-2014 | 東京ヴェルディ | 41 | (11) | |||
2014 | → SC相模原 (loan) | 21 | (5) | |||
2015 | SC相模原 | 33 | (6) | |||
2016-2023 | 沖縄SV | 95 | (43) | |||
通算 | 462 | (129) | ||||
代表歴2 | ||||||
1995 | 日本 U-17 | 3 | (1) | |||
1998-1999 | 日本 U-20 | 16 | (16) | |||
1998-2000 | 日本 U-23 | 11 | (4) | |||
2000-2008 | 日本 | 57 | (23) | |||
監督歴 | ||||||
2016-2019 | 沖縄SV (選手兼) | |||||
2021-2023 | 沖縄SV(選手兼) | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2023年12月5日現在。 2. 2008年5月27日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
高原 直泰(たかはら なおひろ、1979年6月4日 - )は、静岡県三島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカークラブ代表者。ポジションはフォワード。沖縄SV株式会社CEO。元日本代表。
血液型はB型。アルゼンチンから日本に復帰した2002年にはJリーグMVPとJリーグ得点王を獲得。2006年FIFAワールドカップ出場。
静岡県立清水東高等学校を卒業。同校在学中は全国高等学校サッカー選手権大会の出場はならなかった。1998年にジュビロ磐田に加入し、3月21日の開幕戦(京都戦)で途中出場。
2001年、J1リーグ1stステージ第13節横浜F・マリノス戦で優勝を決める延長Vゴールをあげた[3]。同年8月にアルゼンチンのボカ・ジュニアーズのオファーを受けて移籍し、6試合で1得点を挙げた。12月にトヨタカップでの凱旋帰国が期待されたが、直前でメンバー落ちしてしまい出場が叶わないなど、必ずしもチーム首脳から確固たる信頼を得てはいなかった。しかも、2002年初頭、アルゼンチンの経済情勢が悪化し、通貨価値が1週間で半分以下になるなど情勢が混乱したことを理由にボカから契約解除となった。帰国後、磐田に復帰し2002年のJリーグ開幕を迎えた。
2002年、日韓W杯直前にエコノミークラス症候群を発症。その後復帰を果たすと、中山雅史とのコンビでゴールを量産し、MVP・得点王(26得点、史上最年少)の二冠を獲得。リーグ優勝に貢献した。
2003年には再び海外での活躍を目指していたこともあり、ドイツ・ブンデスリーガのハンブルガーSVのオファーを受けて完全移籍。一年目で連続無失点記録を継続中だったオリバー・カーン擁するバイエルン・ミュンヘン相手に得点を決めるなどし、リーグ戦を16試合(先発は12試合)3得点で終える。翌2003-04シーズンは、リーグ戦29試合(先発22試合)に出場するも2得点という結果に終わる。2004-05シーズン、トーマス・ドルが監督に就任するとシーズン序盤は先発から外れるも、第6節のヘルタ・ベルリン戦で2得点を記録し、レギュラーを獲得。リーグ戦31試合(先発は26試合)に出場し、FW中最多の7得点を挙げた。翌2005-06シーズンはリーグ戦21試合(先発は6試合)出場1得点で終えた。
2006年5月、ドイツ・ブンデスリーガのアイントラハト・フランクフルトへ3年契約で移籍。12月3日、アレマニア・アーヘン戦で3得点を挙げ、ブンデスリーガにおける日本人初のハットトリックを達成するなど、1ヶ月で6得点を挙げる。
2007年、5月5日のホームのアーヘン戦で得点を決め、自己記録更新中の同リーグシーズン通算得点を11とした。また、欧州主要リーグでの年間二桁得点の達成は、1998-99シーズンに中田英寿(ペルージャ)が達成して以来の快挙であった。この活躍もあってフランクフルトは1部に残留を決める。この年のフランクフルトサポーターが選ぶMVPにも選出された。2007-08シーズンはひざのケガでスタートが出遅れ、またフリードヘルム・フンケル監督との起用法における対立もあり、出場機会が激減した。
代理人であるトーマス・クロートと話し合いをした上で、浦和レッズとコンタクトがとれるかを確認。浦和側がFWの補強を望んでいたこともあり、移籍金1億8500万円、年俸1億8000万の3年契約[4]。2008年1月11日に約6年ぶりのJリーグ復帰となる移籍が決定。しかし、フランクフルトで試合出場機会が減ったことによるコンディション不良、また長谷部誠、小野伸二の移籍、ポンテもケガで出遅れるなどのパサー不足という状況もあり、2008年はリーグ6点、ACL、ナビスコ杯各1点と合計8得点に終わり、期待以上の働きをすることはできなかった。
2009年は前シーズン限りで現役を引退した内舘秀樹に志願して、背番号7から馴染み深い背番号19に変更した[注 1]。この年はキャンプ、練習試合で好調を維持し、J1開幕戦の対鹿島アントラーズ戦でスタメン出場を果たしたが、結果を出せず、次戦の対FC東京戦からはエジミウソンにスタメンを譲った。その後しばらくは途中出場が続いたが、ナビスコカップ予選リーグ第5節磐田戦でシーズン公式戦初得点を記録したのを皮切りに好調を維持し、貴重な得点を決めて勝利に貢献する時期もあったが、徐々にチーム状態が悪化し、更に自身も不慣れな左右のMFで起用される中で勢いを失い、スタメンを外れることも多くなっていった。最終的にはリーグ4点、ナビスコ2点と合計6得点という前シーズンを下回る成績でシーズンを終えた。
2010年は開幕前から既に構想外であり海外キャンプにも帯同しなかった。その理由として7月10日の会見で監督のフォルカー・フィンケより「去年の時点で今夏の移籍は決まっており、本来は昨冬に移籍するはずだった」ので「構想内の選手だけで練習するのは当然」とされた[5]。同年7月23日に韓国Kリーグの水原三星ブルーウィングスに完全移籍した[6]。移籍金は約4190万円[7]、年俸は減額となるが差額は浦和が負担している[8]。
水原での期待は大きく、Kリーグ最大の人気カードである対FCソウル戦では2得点を決め「とにかく最高!!」と自身のブログで喜びを爆発させた[9]。シーズン終了後に自身のブログで「俺はこのチームで自分らしさを取り戻す事が出来たと思っています」と語った[10]。
2011年、フロント主導でチーム改革を進める清水エスパルスから「得点王を狙える大砲」としてオファーを受け、1年契約+1年オプションの年俸2500万(2400万と報じたメディアもある)で完全移籍した[11]。5月22日J1第12節大宮戦で2得点、4ヵ国(日本、ドイツ、韓国、アルゼンチン)リーグ通算100得点を達成[12]。6月18日J1第16節古巣浦和戦では、大前元紀のクロスにダイビングヘッドでゴールを決めた。古巣に対してはゴールを喜ばない選手も多い中、高原は清水サポーターに向かって膝滑りをしながら両手を広げた。試合後の取材では「ブーイングされる覚えはない。俺は(チームから)追い出された側なんで」とコメントした[13]。
2012年12月、契約満了のため、清水を退団することが発表された[14]。
東京ヴェルディからJ1昇格請負人としてオファーを受け、2013年1月に完全移籍した[15]。リーグ戦ではチーム最多の11ゴールを記録したが、チームは低迷しJ1昇格を逃した。2014年からはクラブの資金難と急激な若返り策が影響し[16]、開幕から出場機会に恵まれず3試合連続でベンチ外となった。
同年3月21日、「このまま(東京Vに)残っていてもプレーする機会はもらえない」「試合に絡めないと分かっているのにその場にいるのは自分にもチームにも良くない」と[17]、J3へ昇格したSC相模原へ期限付き移籍(2015年1月31日まで)[18]。移籍後初先発したブラウブリッツ秋田戦でJ3初得点を記録[18]。
2015年1月19日に完全移籍し[19] 、2015年度のキャプテンに就任[20]。同年5月24日に行われたY.S.C.C.横浜戦では、プロ生活初となる無回転FK弾を決めた[21]。11月30日、契約満了による退団が発表された。
2016年に創設し、自身が代表(出資は、柔道の野村忠宏らとの共同出資)を務める沖縄SVでプレー[22]。代表兼監督兼選手を務める[23]。第52回全国社会人サッカー選手権大会に出場したが1回戦で敗れた。2020年からは山本浩正が監督に就任[24] したため、監督業からは退いた。しかし、その後リーグでの成績不振もあり2021年シーズン途中から再び監督を務める事となった。高原が監督に戻りリーグ戦最終節で逆転優勝を果たす。
2023年7月2日、JFLで得点し、国内カテゴリーのJ1、J2、J3、JFL、地域リーグ、都道府県リーグでの得点を記録した[25]。
8月31日、このシーズン限りでの引退を表明した[26]。ラストゲームは、VONDS市原とのJFLと地域リーグの入れ替え戦だったが、自身も延長前半10分までプレーし、チームの勝利とJFL残留に貢献した。
引退後は、選手と兼任していた監督も辞めて社長業に専念[27]。
沖縄SVが取り組んでいる「沖縄コーヒープロジェクト」(詳しくは沖縄SV#サッカー以外の取り組みを参照)の関係から、現役時代に自らも練習の合間を縫ってコーヒー農園での作業に従事しており、現在はコーヒー農家との兼業状態であるという[28]。
各年代で日本代表に選出され、1994年にはU-16代表としてアジア選手権に出場。
1999 FIFAワールドユース選手権で3得点を挙げ準優勝、2000年のシドニー五輪では3得点を挙げGL突破、フル代表では2000年アジアカップに出場し優勝。
2002年、日韓W杯直前にエコノミークラス症候群[注 2] を発症し落選。この出来事はワールドカップ入りが確実であっただけに日本のファンが失望したほどの大きいアクシデントとも言えた[29]。
2006年ドイツW杯アジア1次予選にFW中最多出場でシンガポール戦で1得点を挙げる。最終予選は第3戦まで連続で出場するが無得点で、その後は負傷を理由に欠場し、FIFAコンフェデレーションズカップ2005にも出場しなかった。ワールドカップ地区予選終了後は欧州リーグ所属のため代表招集の機会は限られる中、テストマッチ出場5試合で3得点を挙げ、6月に2006年ドイツW杯のメンバーに選出される。開幕前に行われた強化試合でも地元ドイツ相手に2得点を挙げる活躍[30] で、エースストライカーとして本大会に臨む形となったが、グループリーグ3試合で無得点に終わった。
2007年3月24日、キリンチャレンジカップ、ペルー戦で代表に復帰し、イビチャ・オシム体制での初得点を挙げる(試合は2-0で勝利)。アジアカップでは4得点を挙げ、アジアカップにおいて日本人初の得点王に輝いた。
岡田武史への監督交代後にクラブでも代表でも不調に陥り[31][32]、2008年5月を最後に招集されなかった。
左右両足から放たれるシュート、高さのあるヘディング、相手ディフェンダーをかわしてシュートする突破力など、求められる要素をすべて持つ万能型フォワード[33]。
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1998 | 磐田 | 19 | J | 20 | 5 | 6 | 4 | 2 | 0 | 28 | 9 |
1999 | J1 | 21 | 9 | 1 | 0 | 3 | 1 | 25 | 10 | ||
2000 | 24 | 10 | 2 | 0 | 0 | 0 | 26 | 10 | |||
2001 | 13 | 8 | 2 | 2 | - | 15 | 10 | ||||
アルゼンチン | リーグ戦 | リーグ杯 | アルヘンティーナ杯 | 期間通算 | |||||||
2001-02 | ボカ | 30 | プリメーラ | 6 | 1 | - | - | 6 | 1 | ||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2002 | 磐田 | 32 | J1 | 27 | 26 | 0 | 0 | 3 | 0 | 30 | 26 |
ドイツ | リーグ戦 | リーグ杯 | DFBポカール | 期間通算 | |||||||
2002-03 | ハンブルガー | 32 | ブンデス1部 | 16 | 3 | - | - | 16 | 3 | ||
2003-04 | 29 | 2 | - | 3 | 1 | 32 | 3 | ||||
2004-05 | 31 | 7 | - | 1 | 0 | 32 | 7 | ||||
2005-06 | 21 | 1 | - | 2 | 1 | 23 | 2 | ||||
2006-07 | フランクフルト | 19 | 30 | 11 | - | 4 | 4 | 34 | 15 | ||
2007-08 | 8 | 1 | - | 2 | 0 | 10 | 1 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2008 | 浦和 | 7 | J1 | 27 | 6 | 3 | 1 | 1 | 0 | 31 | 7 |
2009 | 19 | 32 | 4 | 8 | 2 | 0 | 0 | 40 | 6 | ||
2010 | 4 | 0 | 1 | 1 | - | 5 | 1 | ||||
韓国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | 水原 | 22 | Kリーグ | 12 | 4 | - | - | 12 | 4 | ||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2011 | 清水 | 19 | J1 | 28 | 8 | 4 | 1 | 1 | 0 | 33 | 9 |
2012 | 18 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 20 | 1 | |||
2013 | 東京V | 44 | J2 | 41 | 11 | - | 0 | 0 | 41 | 11 | |
2014 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | |||||
相模原 | 31 | J3 | 21 | 5 | - | - | 21 | 5 | |||
2015 | 10 | 33 | 6 | - | - | 33 | 6 | ||||
2016 | 沖縄SV | 沖縄県3部 | 9 | 11 | - | - | 9 | 11 | |||
2017 | 沖縄県1部 | - | - | ||||||||
2018 | 九州 | 17 | 11 | - | - | 17 | 11 | ||||
2019 | 11 | 7 | - | 2 | 1 | 13 | 8 | ||||
2020 | 4 | 5 | - | 1 | 0 | 5 | 5 | ||||
2021 | 15 | 5 | - | 1 | 0 | 16 | 5 | ||||
2022 | 13 | 2 | - | 1 | 0 | 14 | 2 | ||||
2023 | JFL | 26 | 2 | - | - | 26 | 2 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 214 | 78 | 29 | 11 | 10 | 1 | 253 | 89 | |
日本 | J2 | 41 | 11 | - | 0 | 0 | 41 | 11 | |||
日本 | J3 | 54 | 11 | - | - | 54 | 11 | ||||
日本 | JFL | 26 | 2 | - | - | 26 | 2 | ||||
日本 | 九州 | 60 | 30 | - | 5 | 1 | 65 | 31 | |||
日本 | 沖縄県1部 | - | |||||||||
日本 | 沖縄県3部 | 9 | 11 | - | - | 9 | 11 | ||||
アルゼンチン | プリメーラ | 6 | 1 | - | - | 6 | 1 | ||||
ドイツ | ブンデス1部 | 135 | 25 | - | 12 | 6 | 147 | 31 | |||
韓国 | Kリーグ | 12 | 4 | - | - | 12 | 4 | ||||
総通算 | 557 | 173 | 29 | 11 | 27 | 8 | 613 | 191 |
その他の公式戦
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
UEFA | UEFA EL | |||
2003-04 | ハンブルガー | 32 | 2 | 0 |
2005-06 | 7 | 0 | ||
2006-07 | フランクフルト | 19 | 5 | 2 |
通算 | UEFA | 14 | 2 | |
AFC | ACL | |||
2008 | 浦和 | 7 | 4 | 1 |
2010 | 水原 | 22 | 1 | 0 |
通算 | AFC | 5 | 1 |
その他の公式戦
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2000 | 11 | 8 |
2001 | 4 | 0 |
2002 | 4 | 1 |
2003 | 8 | 2 |
2004 | 5 | 1 |
2005 | 7 | 2 |
2006 | 5 | 3 |
2007 | 9 | 6 |
2008 | 4 | 0 |
通算 | 57 | 23 |
No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 2000年02月13日 | マカオ | シンガポール | ○3-0 | フィリップ・トルシエ | アジアカップ予選 | |
2. | 2000年02月16日 | マカオ | ブルネイ | ○9-0 | アジアカップ予選 | ||
3. | 2000年02月20日 | マカオ | マカオ | ○3-0 | アジアカップ予選 | ||
4. | 2000年04月26日 | ソウル | 韓国 | ●0-1 | 国際親善試合 | ||
5. | 2000年06月18日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | ボリビア | ○2-0 | キリンカップ | |
6. | 2000年08月16日 | 広島県 | 広島広域公園陸上競技場 | アラブ首長国連邦 | ○3-1 | キリンチャレンジ | |
7. | 2000年10月14日 | サイダ | サウジアラビア | ○4-1 | アジアカップ | ||
8. | 2000年10月17日 | サイダ | ウズベキスタン | ○8-1 | アジアカップ | ||
9. | 2000年10月24日 | ベイルート | イラク | ○4-1 | アジアカップ | ||
10. | 2000年10月26日 | ベイルート | 中華人民共和国 | ○3-2 | アジアカップ | ||
11. | 2000年10月29日 | ベイルート | サウジアラビア | ○1-0 | アジアカップ | ||
12. | 2001年03月24日 | サンドニ | フランス | ●0-5 | 国際親善試合 | ||
13. | 2001年04月25日 | コルドバ | スペイン | ●0-1 | 国際親善試合 | ||
14. | 2001年10月04日 | ランス | セネガル | ●0-2 | 国際親善試合 | ||
15. | 2001年11月07日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | イタリア | △1-1 | キリンチャレンジカップ | |
16. | 2002年03月21日 | 大阪府 | 長居陸上競技場 | ウクライナ | ○1-0 | キリンチャレンジカップ | |
17. | 2002年03月27日 | ウッジ | ポーランド | ○2-0 | 国際親善試合 | ||
18. | 2002年10月16日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ジャマイカ | △1-1 | ジーコ | キリンチャレンジカップ |
19. | 2002年11月20日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | アルゼンチン | ●0-2 | 山本昌邦(代行) | キリンチャレンジカップ |
20. | 2003年03月28日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ウルグアイ | △2-2 | ジーコ | 国際親善試合 |
21. | 2003年06月11日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | パラグアイ | △0-0 | キリンカップ | |
22. | 2003年06月18日 | サンドニ | ニュージーランド | ○3-0 | コンフェデレーションカップ | ||
23. | 2003年06月20日 | サンテティエンヌ | フランス | ●1-2 | コンフェデレーションカップ | ||
24. | 2003年06月22日 | サンテティエンヌ | コロンビア | ●0-1 | コンフェデレーションカップ | ||
25. | 2003年08月20日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ナイジェリア | ○3-0 | キリンチャレンジカップ | |
26. | 2003年10月11日 | ブカレスト | ルーマニア | △1-1 | 国際親善試合 | ||
27. | 2003年11月19日 | 大分県 | 大分スポーツ公園総合競技場 | カメルーン | △0-0 | キリンチャレンジカップ | |
28. | 2004年02月18日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | オマーン | ○1-0 | ワールドカップ予選 | |
29. | 2004年03月31日 | シンガポール | シンガポール | ○2-1 | ワールドカップ予選 | ||
30. | 2004年09月08日 | コルカタ | インド | ○4-0 | ワールドカップ予選 | ||
31. | 2004年10月13日 | マスカット | オマーン | ○1-0 | ワールドカップ予選 | ||
32. | 2004年12月16日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | ドイツ | ●0-3 | キリンチャレンジカップ | |
33. | 2005年02月09日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | 北朝鮮 | ○2-1 | ワールドカップ予選 | |
34. | 2005年03月25日 | テヘラン | イラン | ●1-2 | ワールドカップ予選 | ||
35. | 2005年03月30日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | バーレーン | ○1-0 | ワールドカップ予選 | |
36. | 2005年09月07日 | 宮城県 | 宮城スタジアム | ホンジュラス | ○5-4 | キリンチャレンジカップ | |
37. | 2005年10月08日 | リガ | ラトビア | △2-2 | 国際親善試合 | ||
38. | 2005年10月12日 | キエフ | ウクライナ | ●0-1 | 国際親善試合 | ||
39. | 2005年11月16日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | アンゴラ | ○1-0 | キリンチャレンジカップ | |
40. | 2006年02月28日 | ドルトムント | ボスニア・ヘルツェゴビナ | △2-2 | 国際親善試合 | ||
41. | 2006年05月30日 | レバークーゼン | ドイツ | △2-2 | 国際親善試合 | ||
42. | 2006年06月12日 | カイザースラウテルン | オーストラリア | ●1-3 | ワールドカップ | ||
43. | 2006年06月18日 | ニュルンベルク | クロアチア | △0-0 | ワールドカップ | ||
44. | 2006年06月22日 | ドルトムント | ブラジル | ●1-4 | ワールドカップ | ||
45. | 2007年03月24日 | 神奈川県 | 横浜国際総合競技場 | ペルー | ○2-0 | イビチャ・オシム | キリンチャレンジカップ |
46. | 2007年06月01日 | 静岡県 | 静岡県小笠山総合運動公園スタジアム | モンテネグロ | ○2-0 | キリンカップ | |
47. | 2007年06月05日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | コロンビア | △0-0 | キリンカップ | |
48. | 2007年07月09日 | ハノイ | カタール | △1-1 | アジアカップ | ||
49. | 2007年07月13日 | ハノイ | アラブ首長国連邦 | ○3-1 | アジアカップ | ||
50. | 2007年07月16日 | ハノイ | ベトナム | ○4-1 | アジアカップ | ||
51. | 2007年07月21日 | ハノイ | オーストラリア | △1-1(PK4-3) | アジアカップ | ||
52. | 2007年07月25日 | ハノイ | サウジアラビア | ●2-3 | アジアカップ | ||
53. | 2007年07月28日 | パレンバン | 韓国 | △0-0(PK5-6) | アジアカップ | ||
54. | 2008年01月26日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | チリ | △0-0 | 岡田武史 | キリンチャレンジカップ |
55. | 2008年01月30日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ボスニア・ヘルツェゴビナ | ○3-0 | キリンチャレンジカップ | |
56. | 2008年02月06日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | タイ | ○4-1 | ワールドカップ予選 | |
57. | 2008年05月27日 | 埼玉県 | 埼玉スタジアム2002 | パラグアイ | △0-0 | キリンカップ |
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦相手 | 勝敗 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|
1. | 2000年2月16日 | 中国 | ブルネイ | ○9-0 | AFCアジアカップ2000・予選 |
2. | |||||
3. | 2000年2月20日 | マカオ | ○3-0 | ||
4. | 2000年10月14日 | レバノン | サウジアラビア | ○4-1 | AFCアジアカップ2000 |
5. | 2000年10月17日 | ウズベキスタン | ○8-1 | ||
6. | |||||
7. | |||||
8. | 2000年10月24日 | イラク | ○4-1 | ||
9. | 2002年3月27日 | ポーランド | ポーランド | ○2-0 | 親善試合 |
10. | 2003年8月20日 | 日本 | ナイジェリア | ○3-0 | キリンチャレンジカップ2003 |
11. | |||||
12. | 2004年3月31日 | シンガポール | シンガポール | ○2-1 | 2006 FIFAワールドカップ・アジア予選 |
13. | 2005年9月7日 | 日本 | ホンジュラス | ○5-4 | キリンチャレンジカップ2005 |
14. | 2005年10月8日 | ラトビア | ラトビア | △2-2 | 親善試合 |
15. | 2006年2月28日 | ドイツ | ボスニア・ヘルツェゴビナ | △2-2 | |
16. | 2006年5月30日 | ドイツ | ドイツ | △2-2 | |
17. | |||||
18. | 2007年3月24日 | 日本 | ペルー | ○2-0 | キリンカップサッカー2007 |
19. | 2007年6月1日 | モンテネグロ | ○2-0 | ||
20. | 2007年7月9日 | ベトナム | カタール | △1-1 | AFCアジアカップ2007 |
21. | 2007年7月13日 | アラブ首長国連邦 | ○3-1 | ||
22. | |||||
23. | 2007年7月21日 | オーストラリア | △1-1 (PK4-3) |