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『花火の港』(1956)より | |
誕生 |
1910年3月14日 日本統治下朝鮮 咸鏡南道(現・ 北朝鮮江原道)元山 |
死没 |
2006年4月3日(96歳没) 日本 東京都世田谷区 |
職業 | 小説家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 青山学院中等部 |
活動期間 | 1934年 - 2006年 |
ジャンル | 大衆文学 |
代表作 |
『源義経』 『佐々木小次郎』 『次郎長三国志』 『松平長七郎旅日記』 |
主な受賞歴 | 直木賞(1941年) |
デビュー作 | 『利根の川霧』 |
ウィキポータル 文学 |
村上 元三 (むらかみ げんぞう、1910年3月14日 - 2006年4月3日) は、日本の小説家。
朝鮮半島の咸鏡南道(現在の江原道)元山生まれ。青山学院中等部卒。
1934年、「サンデー毎日」懸賞小説で選外佳作となった『利根の川霧』でデビュー。浅草の剣戟俳優・梅沢昇の脚本を書いているうち、梅沢の紹介で小説家・劇作家の長谷川伸を知り、師事する。
1941年には長谷川主催の雑誌「大衆文芸」に掲載された、『上総風土記』で直木賞受賞。
戦後に朝日新聞夕刊に当時タブーであった剣豪小説『佐々木小次郎』を1年程掲載。大衆文学復興の旗手となる。北方もの、人物評伝もの、伝奇もの、海洋冒険もの、芸道もの、股旅もの、お家騒動ものと、多彩な作品を執筆した。他に『次郎長三国志』『松平長七郎旅日記』などの代表作がある。
1951年には、福岡県北九州市小倉北区の手向山公園内に、『佐々木小次郎』の完結を記念して村上が寄贈した小次郎碑が建てられた。
1954年下半期から1989年下半期まで、30年以上の長きにわたり直木賞の選考委員を務めた。
1966年度NHK大河ドラマとして放映された『源義経』では原作提供だけでなく自ら脚本も担当している[1]。
2006年4月3日、心不全のため東京都世田谷区の病院で死去[2]。96歳没。