公益社団法人日本精神神経学会 (にほんせいしんしんけいがっかい、英語 : The Japanese Society of Psychiatry and Neurology )は、精神医学 および神経学 の発展を目的とする学会 。東京都 千代田区 神田駿河台 に本部を置く公益社団法人 [ 1] で、日本医学会 の分科会[ 2] 。会員数は2021年4月時点で、18,000名以上[ 3] 。
主な事業活動は、精神科医 向け学術講演会の開催、会誌『精神神経学雑誌 』や書籍の発行、国際学術交流などである。また、福島県立大野病院事件 や自殺 対策、性同一性障害 についての提言、精神保健福祉法 への要望なども行っている。統合失調症 についても、診断名が精神分裂病から変わったことについて、その経緯を公式サイトに掲載している[ 4] 。
歴史
日本精神神経学会公式サイト「学会概要」[ 1] 、『東大病院精神科の30年 』(pp.27 - 51)などによる。
1902年(明治 35年):精神医学 の呉秀三 と内科学 の三浦謹之助 を中心に、会員約200名で日本神経学会 を発足し、会誌『神経学雑誌 』を創刊。
1935年(昭和 10年):学会名を日本精神神経学会 、会誌名を『精神神経学雑誌 』に改称。
1946年(昭和21年):社団法人 となる。
1961年(昭和36年):刑法 改正問題研究会を設置。
1967年(昭和42年):臺弘 教授が理事長に就任。
1969年(昭和44年)5月19日-22日:金沢学会(臺弘理事長)で、理事会不信任。評議員会解散勧告が提出される。関西精神科医師会議がパンフレット『学会を告発する』を作成。
1969年(昭和44年)12月20日:理事会が『精神病院に多発する不祥事件に関連し全会員に訴える』を発表。
1971年(昭和46年)
3月17日:石川清 が『前理事長台弘氏を全学会員に告発する』を発表。
3月21日:臺弘が『石川清氏の告発についての所感』を発表。
6月14日—16日:保安処分 に反対する決議を採択。
1973年(昭和48年)
4月:評議会有志が、臺弘による人体実験 「臺実験 」を告発。
5月:臺弘による人体実験批判決議を採択。
1975年(昭和50年)5月19日 :精神外科 を否定する決議と、患者の通信・面会の自由に関する決議を採択。
1976年(昭和51年)11月23日:『精神外科廃絶に向けての決議』案。
1978年(昭和53年)9月4日:評議委員会が『マスコミおける精神障害者の人権について』を決議。
1979年(昭和59年)1月20日:理事会が『マスコミおける精神障害者の人権について』の声明を出す。
1984年(昭和59年)5月:学会で安井健彦 が宇都宮病院問題 を告発。報徳会宇都宮病院 問題についての見解と附帯決議を採択。
1986年(昭和61年)5月:「『岐阜大学神経精神科における胎児解剖』研究に対する見解」が、研究と人権問題委員会から出る。
1986年(昭和61年)11月1日:「精神衛生法の改正にからめて保安処分 制度新設に反対する」(保安処分に反対する精神医療従事者協議会)。
1988年(昭和63年)5月:「精神保健指定医 制度に反対する決議」を、評議委員会で採択。
1993年(平成 5年):財団法人 全国精神障害者家族会連合会 より、精神分裂病の病名を変更するよう要望を受ける。
2002年(平成14年)8月:総会で精神分裂病 の病名を統合失調症 へ変更することを議決。
2009年(平成21年)7月:「精神科専門医制度における精神科専門医資格の更新に際して必要とする取得単位を得る方法の一つとしての『研修会・研究会等への参加』」に関して、精神医学史学会 を「研修会・研究会等」に指定。
2013年(平成25年)4月:公益社団法人 となる。
2024年年(令和 6年)2月1日:旧優生保護法 時代の強制不妊手術 への関わりについて初めて謝罪し[ 5] 、「精神障害者の生と人権を損ねた事実を被害者に謝罪しなければならない」とする報告書を発表[ 6] 。
脚注
参考資料
ウェブサイト
出版物
関連項目
外部リンク