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ぶんきょうく 文京区 | |||||
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東京ドーム(2007年) | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 東京都 | ||||
市町村コード | 13105-9 | ||||
法人番号 | 6000020131059 | ||||
面積 |
11.29km2 | ||||
総人口 |
248,691人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) | ||||
人口密度 | 22,028人/km2 | ||||
隣接自治体 | 新宿区、千代田区、台東区、豊島区、北区、荒川区 | ||||
区の木 | いちょう | ||||
区の花 | つつじ | ||||
文京区役所 | |||||
区長 | 成澤廣修 | ||||
所在地 |
〒112-8555 東京都文京区春日1丁目16番21号 北緯35度42分29秒 東経139度45分08秒 / 北緯35.708度 東経139.75225度座標: 北緯35度42分29秒 東経139度45分08秒 / 北緯35.708度 東経139.75225度 | ||||
外部リンク | 文京区 | ||||
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ウィキプロジェクト |
文京区(ぶんきょうく)は、東京都の区部北部に位置する特別区[1]。
東京23区の中部、ちょうど真ん中に位置する。1947年に旧本郷区と旧小石川区が合併して誕生した。「文の京(ふみのみやこ)」という字義通り、東京大学を筆頭に大学が多い文教地区と閑静な住宅街が区の多くを占める。明治時代より夏目漱石や森鷗外、宮沢賢治などの著名な文人・学者や政治家が多く住んだ。大学や大学病院が集積することから出版・印刷会社のほか、先端医療が盛んで大規模病院や医療機器メーカーも多い。特に御茶ノ水駅一帯は隣接する千代田区の神田エリアとともに大学などの高等教育機関が集積する学生街となっている(「御茶ノ水」「湯島」「本郷」も参照)。区内には、日本サッカー協会、講談社、東京ドーム、東京大学本郷地区キャンパスなどがある。
JR中央線に近い区の南部には東京ドームシティなどの商業地域がいくらか見られるものの、全体としては住宅地が多く、また公園、教育機関、医療機関が点在する。文教地区に指定されている地域は条例により、パチンコ店やキャバレーなどの風営法の対象となる商店については厳しい規制を受ける。オフィス街の千代田区と隣接していながら文京区には西片、大和郷(本駒込6丁目)、本郷、小石川、小日向、本駒込、目白台などの閑静な住宅地が残されている。また音羽の森や六義園、小石川後楽園、小石川植物園など歴史ある広大な日本庭園がいくつも残されている。また、文京区の東端から台東区の西端にかけて広がる谷根千(谷中・根津・千駄木)と呼ばれる地区は、東京の下町エリアとしても知られる。
区内には目黒区、世田谷区、および練馬区と共に、JRの駅が一つも存在しない。JRの線路は山手線の巣鴨駅 - 駒込駅間がわずかに通るだけで、この区間を除けば全域がすっぽり山手線内側に入る唯一の区でもある。地理的には都心に位置しながら大きな繁華街は存在しないが、区内に東京ドームシティアトラクションズに属する大型商業施設の「ラクーア」がある。
文京区と全国の年齢別人口分布(2005年) | 文京区の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 文京区
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
文京区(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
2005年の夜間人口(居住者)は189,564人。区外からの通勤者と通学生および居住者のうちの区内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は336,229人で、昼は夜の1.774倍の人口になる(東京都編集『東京都の昼間人口2005』平成20年発行124,125ページ。国勢調査では年齢不詳の者が東京都だけで16万人いる。上記グラフには年齢不詳の者を含め、昼夜間人口に関しては年齢不詳の人物は数字に入っていないので数字の間に誤差は生じる)。
文京区は、東京都の東部、皇居の北側に位置する。文京区役所の正確な位置は、東経139度45分40秒・北緯35度42分20秒。武蔵野台地の坂、神田川などにつくられた低地部、5つの台地(関口台、小日向台、小石川台、白山台、本郷台)や谷から成り立ち、坂の多い地域である。高度は、後楽1丁目の海抜3.1メートルを最低に、大塚5丁目付近で海抜34メートルである。面積は、11.31平方キロメートルであり、23ある特別区では4番目に面積が小さい区である。
現在の文京区に人が住み始めたのはおよそ18,000年前ごろの旧石器時代と考えられている。区内28カ所に縄文遺跡が確認され、本郷台地周辺で貝塚と縄文土器が多数発見されている。1884年(明治17年)に向ヶ丘弥生町(現在の弥生1丁目)で発見された土器は、その発見地から弥生土器と命名され、弥生時代の名の由来となっている。
1896年(明治29年)に六義園(本駒込6丁目)から本郷通りの東側(現在の本駒込5丁目)で弥生後期の遺跡が発見されている。豊島区と文京区の区界にまたがって広がる遺跡である。
令制国としては武蔵国の一部であった。中世に至り上杉氏の支配下に入り、太田氏や豊島氏などの豪族の影響を受けた。戦国時代には相模国から進出した後北条氏の支配地となり、徐々に発展していったようである。
天正18年(1590年)、徳川家康の江戸入府により、武家屋敷や寺社が建った。江戸時代には徳川光圀(水戸黄門)で有名な徳川御三家の一つ、水戸徳川家屋敷をはじめ、徳川家康の生母である於大の方が埋葬された伝通院、五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の願いにより創建された護国寺などの寺社が立ち並んだ。
三代将軍徳川家光の乳母である春日局、大奥の奥女中であった音羽が土地を拝領した事から「春日」「音羽」など現在でも地名として使われる。
白山御殿は、五代将軍徳川綱吉の将軍就任以前、館林候時代の屋敷で、もと白山神社の跡であったので「白山御殿」と言われた。綱吉の将軍職就任後は、御殿跡を幕府の薬草園とした。享保7年(1722年)、園内に、映画『赤ひげ』で知られるようになった小石川養生所が設けられた。また、享保20年(1735年)には青木昆陽が甘藷(サツマイモ)を試験栽培した。明治になってからは東京大学の付属植物園となった。
大政奉還後は十五代将軍徳川慶喜が旧小日向(現在の春日地区)に居住した。
江戸時代中期には区域の多くが市街化し、後期には中山道の街道筋に商店が建ち並ぶなど商業が活発化した。明治時代に入り広大な跡地は、大学及び軍用地や商業地などに転用された。
区内には、幕府の官学の府ともいうべき湯島聖堂、昌平坂学問所があった。
安田財閥の創始者安田善次郎の娘婿善四郎が購入し、昭和12年(1937年)に長男楠雄が相続した「旧安田楠雄邸」が千駄木5丁目にある。歴史的建造物として修復管理し、公開されている。
昌平坂学問所跡に師範学校、女子師範学校が設立され、東京大学が現在地に移転を完了し、文教地区文京の特色が鮮明になった。一方、水戸徳川家の上屋敷内の庭園が現在の小石川後楽園となり、五代将軍徳川綱吉の大老柳沢吉保の六義園が返還され、国の名勝になるなど、都心の貴重な緑地を今に残している。
1878年(明治11年)、郡区町村編制法により小石川区と本郷区が成立。広大な加賀前田家の屋敷跡に帝国大学(現:東京大学)が設置された。帝大周辺に出版社が集まり、それに伴って多くの文人達も移り住み、坪内逍遥、森鷗外、夏目漱石、樋口一葉などが居を構えた。その後は都市化が進んだが、本郷通りなどの大通りから一歩住宅街へ入ると江戸や明治の名残ある場所が多数残されている。
1937年(昭和12年)、東京砲兵工廠の跡地に後楽園スタヂアム(現在の東京ドーム)が誕生し、戦後のプロ野球復活と共に娯楽地として発展する。
1947年(昭和22年)、市街地編成として小石川区と本郷区が合併し文京区が誕生(1947年(昭和22年)3月5日公布、同年3月15日施行)。
1965年(昭和40年)ごろ、東京都内の住居表示(町名)変更に伴い、区内の町名が大規模に変更された。これに伴い1965年9月15日には、区内を走っていた東京都電車や東京都バスの39箇所の停留所名も変更されている[2]。
1969年(昭和44年)ごろ、学生運動が活発化し、過激化の傾向の頂点を見せる。1969年1月18日には東大安田講堂事件が発生したほか、同年9月30日には本富士警察署および文京区立第四中学校(後に第二中学校と統合)に、それぞれ6本の火炎瓶が投げ込まれて炎上する事件が起きた[3]。
1999年(平成11年)、都心回帰の傾向を反映して35年ぶりに人口増加へ転じている。このころからマンション建設が盛んに行われている。
戦後復興や高度成長による東京都心部の過密解消を目的とした工場等制限法は大学も対象とされ、大学の郊外移転(多摩地域や埼玉県など)が進んだ。現在では工場等制限法が廃止され、拓殖大学のように文京区を含む都心へキャンパスを回帰させる大学が目立つ[4]。
文京区は典型的な瑞祥地名である。区の名称は「文京」の名が簡潔で書きやすく、“文教の府”という区のイメージと一致しているとして、両区の区議会で採用された。その他の区名案には「京北区」「春日区」「湯島区」 「富士見区」「音羽区」「山手区」「白山区」「駒込区」「弥生区」「八千代区」「後楽区」「大和区」「曙区」「城北区」「常盤区」などがあった。
文京区では、全域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。
町名 | 町区新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施直前町名 | 備考 |
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1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 大塚町、大塚仲町、大塚上町、大塚辻町、大塚坂下町(以上全)、東青柳町、氷川下町、大塚窪町 | ||
大塚二丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 大塚町、大塚仲町、大塚上町、大塚辻町、大塚坂下町(以上全)、東青柳町、氷川下町、大塚窪町 | |
大塚三丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 大塚町、大塚仲町、大塚上町、大塚辻町、大塚坂下町(以上全)、東青柳町、氷川下町、大塚窪町 | |
大塚四丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 大塚町、大塚仲町、大塚上町、大塚辻町、大塚坂下町(以上全)、東青柳町、氷川下町、大塚窪町 | |
大塚五丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 大塚町、大塚仲町、大塚上町、大塚辻町、大塚坂下町(以上全)、東青柳町、氷川下町、大塚窪町 | |
大塚六丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 大塚町、大塚仲町、大塚上町、大塚辻町、大塚坂下町(以上全)、東青柳町、氷川下町、大塚窪町 | |
1967年1月1日 | 1967年1月1日 | 音羽町1〜3・6〜9(全)、音羽町4・5、桜木町、関口町、関口台町、小日向台町3、東青柳町、西青柳町、雑司ヶ谷町 | ||
音羽二丁目 | 1967年1月1日 | 1967年1月1日 | 音羽町1〜3・6〜9(全)、音羽町4・5、桜木町、関口町、関口台町、小日向台町3、東青柳町、西青柳町、雑司ヶ谷町 | |
1964年8月1日 | 1964年8月1日 | 小石川2、仲町、大門町、金富町(以上全)、春日町2、水道町、大和町、表町、第六天町、同心町 | ||
春日二丁目 | 1964年8月1日 | 1964年8月1日 | 小石川2、仲町、大門町、金富町(以上全)、春日町2、水道町、大和町、表町、第六天町、同心町 | |
1964年8月1日 | 1964年8月1日 | 春日町3、初音町、富坂1・2、久堅町(以上全)、表町、竹早町、柳町、八千代町、戸崎町、白山御殿町、大塚窪町 | ||
小石川二丁目 | 1964年8月1日 | 1964年8月1日 | 春日町3、初音町、富坂1・2、久堅町(以上全)、表町、竹早町、柳町、八千代町、戸崎町、白山御殿町、大塚窪町 | |
小石川三丁目 | 1964年8月1日 | 1964年8月1日 | 春日町3、初音町、富坂1・2、久堅町(以上全)、表町、竹早町、柳町、八千代町、戸崎町、白山御殿町、大塚窪町 | |
小石川四丁目 | 1964年8月1日 | 1964年8月1日 | 春日町3、初音町、富坂1・2、久堅町(以上全)、表町、竹早町、柳町、八千代町、戸崎町、白山御殿町、大塚窪町 | |
小石川五丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 春日町3、初音町、富坂1・2、久堅町(以上全)、表町、竹早町、柳町、八千代町、戸崎町、白山御殿町、大塚窪町 | |
1964年8月1日 | 1964年8月1日 | 春日町1、小石川1、市兵衛河岸、新諏訪町、諏訪町(以上全)、江戸川町、大和町 | ||
後楽二丁目 | 1964年8月1日 | 1964年8月1日 | 春日町1、小石川1、市兵衛河岸、新諏訪町、諏訪町(以上全)、江戸川町、大和町 | |
1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 茗荷谷町、小日向台町1・2、清水谷町、三軒町(以上全)、小日向台町3、水道端2、第六天町、小日向水道町、桜木町、音羽町5、同心町、竹早町 | ||
小日向二丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 茗荷谷町、小日向台町1・2、清水谷町、三軒町(以上全)、小日向台町3、水道端2、第六天町、小日向水道町、桜木町、音羽町5、同心町、竹早町 | |
小日向三丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 茗荷谷町、小日向台町1・2、清水谷町、三軒町(以上全)、小日向台町3、水道端2、第六天町、小日向水道町、桜木町、音羽町5、同心町、竹早町 | |
小日向四丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 茗荷谷町、小日向台町1・2、清水谷町、三軒町(以上全)、小日向台町3、水道端2、第六天町、小日向水道町、桜木町、音羽町5、同心町、竹早町 | |
1964年8月1日 | 1964年8月1日 | 西江戸川町、武島町、水道端1(以上全)、江戸川町、水道町、小日向水道町、水道端2 | ||
水道二丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 西江戸川町、武島町、水道端1(以上全)、江戸川町、水道町、小日向水道町、水道端2 | |
1967年1月1日 | 1967年1月1日 | 小日向町、東古川町、西古川町、松ヶ枝町、関口水道町、関口駒井町(以上全)、関口町、関口台町、小日向水道町、桜木町 | ||
関口二丁目 | 1967年1月1日 | 1967年1月1日 | 小日向町、東古川町、西古川町、松ヶ枝町、関口水道町、関口駒井町(以上全)、関口町、関口台町、小日向水道町、桜木町 | |
関口三丁目 | 1967年1月1日 | 1967年1月1日 | 小日向町、東古川町、西古川町、松ヶ枝町、関口水道町、関口駒井町(以上全)、関口町、関口台町、小日向水道町、桜木町 | |
1967年1月1日 | 1967年1月1日 | 林町、西丸町、丸山町、大原町、宮下町、西原町1・2(以上全)、原町、駕籠町、白山御殿町、氷川下町 | ||
千石二丁目 | 1967年1月1日 | 1967年1月1日 | 林町、西丸町、丸山町、大原町、宮下町、西原町1・2(以上全)、原町、駕籠町、白山御殿町、氷川下町 | |
千石三丁目 | 1967年1月1日 | 1967年1月1日 | 林町、西丸町、丸山町、大原町、宮下町、西原町1・2(以上全)、原町、駕籠町、白山御殿町、氷川下町 | |
千石四丁目 | 1967年1月1日 | 1967年1月1日 | 林町、西丸町、丸山町、大原町、宮下町、西原町1・2(以上全)、原町、駕籠町、白山御殿町、氷川下町 | |
1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 駒込坂下町(全)、駒込林町、駒込千駄木町、駒込動坂町 | ||
千駄木二丁目 | 1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 駒込坂下町(全)、駒込林町、駒込千駄木町、駒込動坂町 | |
千駄木三丁目 | 1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 駒込坂下町(全)、駒込林町、駒込千駄木町、駒込動坂町 | |
千駄木四丁目 | 1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 駒込坂下町(全)、駒込林町、駒込千駄木町、駒込動坂町 | |
千駄木五丁目 | 1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 駒込坂下町(全)、駒込林町、駒込千駄木町、駒込動坂町 | |
1964年8月1日 | 1964年8月1日 | 駒込西片町(全)、田町、丸山福山町、柳町、駒込東片町、森川町 | ||
西片二丁目 | 1964年8月1日 | 1964年8月1日 | 駒込西片町(全)、田町、丸山福山町、柳町、駒込東片町、森川町 | |
1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 根津須賀町、根津清水町、根津八重垣町、根津宮永町、根津藍染町、根津片町(以上全)、根津西須賀町、向ヶ丘弥生町 | 1967年1月1日付で町域が変更され、根津1丁目の一部を弥生1・2丁目に編入。当該編入区域の旧町名は向ヶ丘弥生町と根津西須賀町。 | |
根津二丁目 | 1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 根津須賀町、根津清水町、根津八重垣町、根津宮永町、根津藍染町、根津片町(以上全)、根津西須賀町、向ヶ丘弥生町 | 1967年1月1日付で町域が変更され、根津1丁目の一部を弥生1・2丁目に編入。当該編入区域の旧町名は向ヶ丘弥生町と根津西須賀町。 |
1964年8月1日 | 1964年8月1日 | 指ヶ谷町、丸山新町、白山前町(以上全)、白山御殿町、原町、八千代町、丸山福山町、戸崎町 | ||
白山二丁目 | 1964年8月1日 | 1964年8月1日 | 指ヶ谷町、丸山新町、白山前町(以上全)、白山御殿町、原町、八千代町、丸山福山町、戸崎町 | |
白山三丁目 | 1967年1月1日 | 1967年1月1日 | 指ヶ谷町、丸山新町、白山前町(以上全)、白山御殿町、原町、八千代町、丸山福山町、戸崎町 | |
白山四丁目 | 1967年1月1日 | 1967年1月1日 | 指ヶ谷町、丸山新町、白山前町(以上全)、白山御殿町、原町、八千代町、丸山福山町、戸崎町 | |
白山五丁目 | 1967年1月1日 | 1967年1月1日 | 指ヶ谷町、丸山新町、白山前町(以上全)、白山御殿町、原町、八千代町、丸山福山町、戸崎町 | |
1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 元町1・2、弓町1・2、真砂町、本郷1〜6、湯島6、春木町1〜3、金助町、菊坂町、台町、本富士町(以上全)、春日町2、田町、森川町、湯島両門町、龍岡町、湯島2 | ||
本郷二丁目 | 1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 元町1・2、弓町1・2、真砂町、本郷1〜6、湯島6、春木町1〜3、金助町、菊坂町、台町、本富士町(以上全)、春日町2、田町、森川町、湯島両門町、龍岡町、湯島2 | |
本郷三丁目 | 1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 元町1・2、弓町1・2、真砂町、本郷1〜6、湯島6、春木町1〜3、金助町、菊坂町、台町、本富士町(以上全)、春日町2、田町、森川町、湯島両門町、龍岡町、湯島2 | |
本郷四丁目 | 1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 元町1・2、弓町1・2、真砂町、本郷1〜6、湯島6、春木町1〜3、金助町、菊坂町、台町、本富士町(以上全)、春日町2、田町、森川町、湯島両門町、龍岡町、湯島2 | |
本郷五丁目 | 1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 元町1・2、弓町1・2、真砂町、本郷1〜6、湯島6、春木町1〜3、金助町、菊坂町、台町、本富士町(以上全)、春日町2、田町、森川町、湯島両門町、龍岡町、湯島2 | |
本郷六丁目 | 1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 元町1・2、弓町1・2、真砂町、本郷1〜6、湯島6、春木町1〜3、金助町、菊坂町、台町、本富士町(以上全)、春日町2、田町、森川町、湯島両門町、龍岡町、湯島2 | |
本郷七丁目 | 1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 元町1・2、弓町1・2、真砂町、本郷1〜6、湯島6、春木町1〜3、金助町、菊坂町、台町、本富士町(以上全)、春日町2、田町、森川町、湯島両門町、龍岡町、湯島2 | |
1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 駒込曙町、駒込片町、駒込富士前町、駒込上富士前町、駒込吉祥寺町、駒込神明町(以上全)、駕籠町、駒込東片町、駒込浅嘉町、駒込動坂町 | ||
本駒込二丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 駒込曙町、駒込片町、駒込富士前町、駒込上富士前町、駒込吉祥寺町、駒込神明町(以上全)、駕籠町、駒込東片町、駒込浅嘉町、駒込動坂町 | |
本駒込三丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 駒込曙町、駒込片町、駒込富士前町、駒込上富士前町、駒込吉祥寺町、駒込神明町(以上全)、駕籠町、駒込東片町、駒込浅嘉町、駒込動坂町 | |
本駒込四丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 駒込曙町、駒込片町、駒込富士前町、駒込上富士前町、駒込吉祥寺町、駒込神明町(以上全)、駕籠町、駒込東片町、駒込浅嘉町、駒込動坂町 | |
本駒込五丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 駒込曙町、駒込片町、駒込富士前町、駒込上富士前町、駒込吉祥寺町、駒込神明町(以上全)、駕籠町、駒込東片町、駒込浅嘉町、駒込動坂町 | |
本駒込六丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 駒込曙町、駒込片町、駒込富士前町、駒込上富士前町、駒込吉祥寺町、駒込神明町(以上全)、駕籠町、駒込東片町、駒込浅嘉町、駒込動坂町 | |
1964年8月1日 | 1964年8月1日 | 駒込追分町、駒込肴町、駒込蓬莱町(以上全)、駒込東片町、駒込千駄木町、駒込浅嘉町、駒込林町 | ||
向丘二丁目 | 1964年8月1日 | 1964年8月1日 | 駒込追分町、駒込肴町、駒込蓬莱町(以上全)、駒込東片町、駒込千駄木町、駒込浅嘉町、駒込林町 | |
1967年1月1日 | 1967年1月1日 | 高田老松町、高田豊川町(以上全)、雑司ヶ谷町、関口町、関口台町、西青柳町、音羽町4 | ||
目白台二丁目 | 1967年1月1日 | 1967年1月1日 | 高田老松町、高田豊川町(以上全)、雑司ヶ谷町、関口町、関口台町、西青柳町、音羽町4 | |
目白台三丁目 | 1967年1月1日 | 1967年1月1日 | 高田老松町、高田豊川町(以上全)、雑司ヶ谷町、関口町、関口台町、西青柳町、音羽町4 | |
1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 向ヶ丘弥生町、森川町 | 1967年1月1日付で町域が変更され、根津1丁目の一部を弥生1・2丁目に編入。当該編入区域の旧町名は向ヶ丘弥生町と根津西須賀町。 | |
弥生二丁目 | 1965年4月1日 | 1965年4月1日 | 向ヶ丘弥生町、森川町 | 1967年1月1日付で町域が変更され、根津1丁目の一部を弥生1・2丁目に編入。当該編入区域の旧町名は向ヶ丘弥生町と根津西須賀町。 |
1965年1月1日 | 1965年1月1日 | 湯島1・3・4、妻恋町、湯島三組町、湯島新花町、湯島天神町1〜3、湯島同朋町、湯島切通坂町、湯島梅園町、湯島切通町(以上全)、湯島2、龍岡町、湯島両門町 | ||
湯島二丁目 | 1965年1月1日 | 1965年1月1日 | 湯島1・3・4、妻恋町、湯島三組町、湯島新花町、湯島天神町1〜3、湯島同朋町、湯島切通坂町、湯島梅園町、湯島切通町(以上全)、湯島2、龍岡町、湯島両門町 | |
湯島三丁目 | 1965年1月1日 | 1965年1月1日 | 湯島1・3・4、妻恋町、湯島三組町、湯島新花町、湯島天神町1〜3、湯島同朋町、湯島切通坂町、湯島梅園町、湯島切通町(以上全)、湯島2、龍岡町、湯島両門町 | |
湯島四丁目 | 1965年1月1日 | 1965年1月1日 | 湯島1・3・4、妻恋町、湯島三組町、湯島新花町、湯島天神町1〜3、湯島同朋町、湯島切通坂町、湯島梅園町、湯島切通町(以上全)、湯島2、龍岡町、湯島両門町 |
出版・印刷業が盛んであり、区内製造業出荷額の7割を占める。特に出版社が多く集まる音羽から江戸川橋にかけて盛んである。本郷、湯島界隈は、大学病院など医療機関が集積していることから、医療機器産業や製薬産業(本社機能など)も多く、メディカルタウンとして有名である。また近年では教育・学習支援をはじめとした都市型産業が増加するとともに、東京大学をはじめ区内大学が有する研究成果や知的財産を活用すべく、大学発ベンチャー企業など、産学連携により産業界に新たな活力をもたらそうとする動きも出てきている。なお、区内の産業を活性化するために産業情報ネットワーク「BUN-NET」を区が運営していたが、平成21年(2009年)に廃止となった。
文京区は、練馬ナンバー(東京運輸支局練馬自動車検査登録事務所)を割り当てられている。
候補者名 | 当落 | 年齢 | 党派名 | 新旧別 | 得票数 |
---|---|---|---|---|---|
福手裕子 | 当 | 44 | 日本共産党 | 新 | 30,815票 |
増子博樹 | 当 | 61 | 都民ファーストの会 | 現 | 30,077票 |
中屋文孝 | 落 | 55 | 自由民主党 | 現 | 25,097票 |
候補者名 | 当落 | 年齢 | 党派名 | 新旧別 | 得票数 |
---|---|---|---|---|---|
増子博樹 | 当 | 57 | 都民ファーストの会 | 元 | 42,185票 |
中屋文孝 | 当 | 55 | 自由民主党 | 現 | 26,997票 |
福手裕子 | 落 | 40 | 日本共産党 | 新 | 26,782票 |
当落 | 候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 重複 |
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当 | 辻清人 | 42 | 自由民主党 | 前 | 119,281票 | ○ |
松尾明弘 | 46 | 立憲民主党 | 前 | 90,422票 | ○ | |
木内孝胤 | 55 | 日本維新の会 | 元 | 45,754票 | ○ | |
北村造 | 38 | れいわ新選組 | 新 | 14,487票 | ○ | |
出口紳一郎 | 48 | 無所属 | 新 | 4,659票 |
太字は、東京都災害拠点病院に指定されている病院。
区内を東京メトロと、都営地下鉄の地下鉄6路線が走る。JRの駅はないものの、山手線および湘南新宿ライン(山手貨物線)の線路が本駒込6丁目をわずかな距離ながら通っており、駒込駅の一部が文京区に入っている。また常磐緩行線の車両が千代田線に乗り入れる形で通っている。また、御茶ノ水駅、水道橋駅、飯田橋駅、大塚駅、巣鴨駅、駒込駅、西日暮里駅などは区界から至近であり、利用は十分に可能である。
東京地下鉄(東京メトロ)
東京都交通局(都営地下鉄)
文京区は、区が自らを「文の京」と位置づけているように、東京大学をはじめとして、区の規模に比すると比較的多くの教育機関が所在する。
また、朝陽館本館(1904年ごろ開業/2016年3月閉業[9])、鳳明館、太栄館などの旅館も点在する。
フランチャイズ制度が確立した1952年以後に拠点を置いたチームを記す。全て後楽園(巨人、日本ハムは1988年以後東京ドーム)を本拠地としている。
旧本郷区、旧小石川区の出身有名人については本郷区、小石川区を参照