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亀井 英三郎(かめい えいざぶろう、1864年4月29日(元治元年3月24日) - 1913年(大正2年)2月26日)は、日本の法制・内務官僚、政治家。貴族院議員。肥後国(現熊本県)出身。
熊本藩士・亀井忠左衛門の三男として生まれる。1888年(明治21年)、帝国大学法科大学(現東京大学法学部)卒業。同年12月、高等試験に合格し法制局試補となる。1890年(明治23年)、法制局参事官に就任。
1902年(明治35年)2月、徳島県知事に就任。その後、1904年(明治37年)1月に静岡県知事、1905年(明治38年)12月、宮城県知事に就任。
1908年(明治41年)の第2次桂内閣の際に警視総監に就任。1911年(明治44年)8月24日、貴族院勅選議員に任じられ[1]、死去するまで在任。
1913年(大正2年)2月26日、死去。墓所は東京都港区にある青山霊園警視庁墓地。